轍囲桜
griffonさま
2012/04/03(Tue) 00:17 No.281
戴の人々に「白」と言えばと問えば、ほぼ半数の人は「雪」と答え、残りの半数のうちの半数は、白圭宮と答える。では残りの四分の一はなんと答えるか。それは、「轍囲桜」と言われる桜の花弁だ。轍囲の桜は、戴に春を告げるように、廬々に緑が萌え出すと同時に一気に満開となる。そして、眩しいほどの純白の五葉の花弁を開いたかと思うと、いきなり散ってしまう。「儚い」と言う暇もないほどだ。
下界より一足早く、白圭宮の園林の轍囲桜の蕾が、今まさに開こうとしていた。
築山の裾野に、庭石代わり置かれているのは、大きな玉の塊だ。王の趣向とは言え、良い趣味だと本心から褒める者は、おそらく居ないだろう。その玉の庭石に白を基調とした朝服を、少しだけ着崩し、その朝服よりも白い髪を背中に流した男が腰掛けていた。特に感情を露わにしているわけではないのだが、辺りに棘を向けているような気を纏っていた。
「こちらにいらっしゃいましたか」
背中から声をかけられ、男はゆっくりと振り返った。白銀の髪が一房、肩を超えて袷の前で揺れた。男と同じように、少しくだけた様に朝服を着た女性が立っていた。
「どうした、劉将軍」
「主上がお探しでしたよ。開花の宴を抜けるなど、左将軍ともあろう方が」
「少し腐臭が強すぎてな」
「驍宗殿」
鋭く、しかし声を顰め、李斎は言った。
「誰も居らぬさ」
「右将軍も、驍宗殿を探すようにと主命を受けております」
「時に李斎」
少し顰めた声で驍宗が言い、手招きする。
「はい」
李斎は驍宗の正面に周ると、片膝をついて右耳を驍宗に向けた。獲物を捕らえる趨虞の素早さで李斎を抱き寄せると額に唇をあてた。
「あ……何を……」
「ん?」
「先ほども申しました。阿選も貴方を探しております」
「かまわぬさ」
「かっ、かまわぬと申され……」
驍宗の右腕は、李斎を抱き寄せると左の肩を掴んでいた。左腕は、李斎の赤茶の髪よりも少し濃い色合いの袍を押し上げる胸の下側にまわされ、解れ出た李斎の髪の中に消えていた。その左腕が、ゆっくりと動いた。
「はっ」
李斎が息を吐く。
その吐息に誘われるように、辺りの轍囲桜が咲き始めた。下から順番に、真っ白な花を見ている間にも、音が聞こえて来そうなほどに。そして、一番高い梢の花が咲いたかと思うと、咲いた順に散り始めた。
雪よりも軽やかに、そよふく風に舞い上げられ、渦となり、そして地面へと舞い降りる。
「このくらい潔くあれば良いのに」
そう呟くと、驍宗はその言葉を聴いたであろう李斎の右の耳朶に唇を這わせ、軽く噛んだ。