「宝重庫」 「玄関」

もの思へば

作 ・ 五緒さま

 目の前を飛び交う蛍。見るとはなしに眺める俺の目の前に一匹、すぅっと寄ってきたかと思うと左腕に止まり、淡い光を明滅させ始めた。
 数度光を点らせては留まる場所を変えを繰り返しなかなか離れぬ蛍に、いつだったか陽子と眺めた光景と交わした会話を思い出した。


 あの時、沢の反対岸には数人の男達が蛍狩りにきていた。無数の蛍が点す明かりの中酒を飲んでいるのか、時折かちりという器の合わさる音が聞こえるが、騒ぐこともなく静かなものだった。
 その男達の一人に一匹の蛍が止まり、仲間達が感嘆の声を洩らした。

 一部始終を見ていた陽子が視線はそのままに、かすかに笑みを含む声で言った。
 蛍の放つ光を、恋しい人を想うあまり身より抜け出た自分の魂ではないのか、と古の倭で詠んだ女性がいたのだと。

 とすると、向こう岸のあの男は女のもとへはあまり通わぬ不実な男だということか、と冗談交じりに話を向けると、陽子はくすりと小さく笑い、さあどうでしょうか、と応えを寄越してきた。


 今、逃げもせず左の人差し指に留まる蛍は、さしずめうつろい出た陽子の魂を連れて来たと言ったところか。
 ならば本人の身体へ戻さねばなるまい。

 一拍の後、己の巡らせた思いに呆れながらも、水を入れていた竹筒に蛍を入れ、指笛を吹きすう虞を呼ぶ。
行き先を慶に変えるぞと言うと、陽子に会えるのが嬉しいのか、しっぽを左右にゆるく振った。


* * * 五緒さまのコメント * * *
この話は和泉式部の和歌 『もの思へば 沢の蛍も わが身より あくがれ出づる 魂(たま)かとぞ見る 』と、 私の体験(蛍が身体に止まる)を元に作りました。
 「雪待月庵」の五緒さんより3周年記念フリー小説をいただいてまいりました。
 尚隆、陽子の許へ行く大義名分ができてよかったね。 心からそう思います。続きも楽しみでございます♪
 五緒さん、素敵なお話をありがとうございました、

(無断転載厳禁。勝手にお持ち帰らないでくださいね!)

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2009.07.07. 速世未生 記
背景画像 bluedaisyさま
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