「宝重庫」 「玄関」

君がいるから大丈夫

作 ・ 饒筆さま

 漣極国雨潦宮の最奥部、農園化した後宮のさらに北、王宮を呑み込む深い森を抜けた最端に、芋畑が在った。(何故?)
 そこは元々、廉王世卓が「樹木を切らず、宮を潰さずに耕地を増やせないかなあ」と散々探し回った末に見つけた、ただ日当たりが良いだけの閑地であった。だらだらと下る斜面で横に細長いが広さは申し分なく、清々しい潮風が絶えず吹き抜ける。ストンと雲海へ落ち込む崖際の、青臭い雑草ばかりが生えた、まさに前人未到の土地だ。
 昨冬の終わり、世卓は目星をつけたこの閑地を廉麟に披露した。
「廉麟、ご覧よ。良い土地だろう?ここなら、畑にしても誰も文句は言わないよね?」(うきうき♪)
「まあ主上……!」
 彼の宰輔は麗しい目を真ん丸に開いた。そして絶句の後、上目がちに主を窺いながら説得を試みる。
「確かに文句は出ないと思います……けれど主上、ここは正寝からずいぶん離れておりますわ。公務の合間に通うのは大変です。それに、すぐ先は崖ではありませんか。万一転げ落ちでもなさったら、どうなさいますの?」
 麒麟の性であれこれ気を揉む廉麟の諫言も、世卓にとっては心地好い春風に近い。(おい!)
「大丈夫、大丈夫。なんとかするよ」(のほほん)
「ほ、本当に大丈夫ですの……?」
「うんうん♪」(にかっ!←輝くお日様スマイル)
 それ以上は誰も何も言わない(言えない)ので、世卓は勝手に許可を得た気になり、雲雀が鳴く頃には嬉々としてこの閑地を耕し始めた。
 森を走る小川から水を引き、比較的手間のかからぬ芋を植え、心配性の廉麟の為に転落防止の柵を作り、木陰には休息用の丸木椅子までこさえて――夏には辺り一面に濃い緑の葉が茂る見事な芋畑を完成させたのだ。
「うん。順調だ。秋には大量の芋が生るぞ」(ホクホク♪)
 笠まで白むほど強い陽を受けても、頑健な世卓は日焼けした頬と白い歯を輝かせて笑む。
「廉麟は甘藷が好きかい?たくさん食べさせてあげるからね」(ふふふ)
 こうなるともう、廉麟は愁眉を解いて降参するしかない。だから始終ご機嫌な主に、柔らかな笑みで追随した。
「ええ、お芋は大好きです。今から楽しみですわ主上」
 ようやく笑った廉麟を眺め、世卓は眩しそうにその目を細めた。

 そのまま、世卓の新しい芋畑は嬉しい初収穫を迎えるはず――だったのだが。


 その夏も盛りを過ぎた頃、世卓は戦支度をして雲下へ出陣することになった。
 漣国には、遥か昔に才州国や宗南国から渡来した北方民と古来より土着していた南方民の二つの民族が住んでいる。伝統も文化も慣習も違う二民族は、それでも平素は南国のおおらかさでなんとなく住み分けて平穏に暮らしているのだが、時折思い出したように激しい衝突を起こしてしまう。今回も、ある地域での揉め事が引き金となって二州間の競り合いに発展し、州師が一戦交える事態にまで至ったため、わざわざ王が禁軍を率いて収拾に乗り出さざるを得なくなったのである。
「じゃあ、行ってくるよ」
 世卓はいつもの呑気さで、似合わぬ太刀を刷いて親征に赴き――
 ふた月経っても帰って来なかった。
 主の長い留守中も、廉麟は気丈に雨潦宮と国政の運営を守った。が、さすがに王宮の端の芋畑までは気が回らない。ただひたすら政務をこなし、世卓の無事と漣国の安寧を祈り続けているうちに、いくつかの嵐が行き過ぎ、涼風が澄み切った青空を連れてきた。
 秋だ。酷暑がぐずりながら緩んで、実りの季節がおっとりと訪れる。
 殺伐とした「お役目」を果たし、世卓がようやく雨潦宮の禁門を潜ったとき、季節は既に木犀の芳香が鼻をくすぐる頃になっていた。
「ただいま廉麟。出迎えありがとう」
 あれほど待ち侘びた主の帰還だ。朝から小躍りするほど嬉しかったのに――それなのに、廉麟は世卓の姿を見てビクリと身を竦ませた。血だ。生臭い、恐ろしい血の匂いが彼女の王に纏わりついている。廉麟の足はその場に根を下ろしたように留まり、どうあがいてもそれ以上前へ進めない。
「……無理はしなくていいよ、廉麟。仁重殿に戻っていてください。今は俺に近寄らない方が良い」
 きっとひどく穢れているから。
 すっかり憔悴した世卓が寂し気に微笑む。
「ごめんなさい。香州候を止められなくて、結局戦になってしまった。そもそも戦なんか嫌だし、絶対に向いていないのにな……」
 そう零すと、世卓はがっくり肩を落とし、重い足を引き摺るように正寝へ向かう。廉麟はそんな主の背をいつまでも見送りながら、なぜお傍に寄り添うこともできないのだろうと我が身の不自由を嘆くしかなかった。


 数日後。世卓のまだ丸まった背中は荒れ果てた芋畑に在った。
 いつものようにテキパキと作業を始める素振りもなく、ただ傾いた丸木の椅子に腰かけてぼんやりと前を向いている。手入れの行き届いた鍬は倒れ、それを振るう強肩もまた気鬱にすぼんだままだ。
――今こそ、お声をかけるべきではないかしら。
 単調な潮騒と胸が痛む沈黙をそっと掻き分けるように、廉麟は主の元へ歩み寄った。躊躇いがちに呼びかける。
「主上」
「うん……」
 世卓は振り返ることもなく、気のない応えを返す。それでも廉麟は微笑みを浮かべた。
「お隣にお邪魔してもよろしいですか?」
「うん……」
 首肯とも嘆息ともとれる反応に、世卓の気落ちの深さが見てとれる。
「では失礼いたしますね」
 廉麟は世卓の隣にふわりと腰かけ、主の真似をして前を見渡した。
 夏の陽ざしの下ではあれほど逞しく育っていた芋たちが、今は無残に枯れて息も絶え絶えだ。急ごしらえの水路は詰まって泥の池をつくり、肝心の畑の土は乾いてひび割れ、辺り一帯は先日の大嵐に?き乱されてめちゃくちゃ。世卓の芋畑は、ぐうの音も出ないほど惨憺たる有様になり果てていた。
――私が放置したせいだわ。
 廉麟は責任を感じて俯く。
 以前は威勢よく吹き抜けていた潮風さえ、今日は落ち込む王と台輔に気兼ねしたのか、そよそよと気弱に忍び寄ってきた。
「……俺はだめだな」
 ようよう、世卓がぽつりと呟く。
「そんなことはありませんわ。これは私のせいです」
 廉麟が言を被せるように謝る。すると、世卓は困って眉尻を下げた。
「いいや。芋畑の件なら、きちんと世話をお願いしなかった俺が悪いんです」
――ただ『畑をよろしく』と言っただけじゃあ、伝わらなかったんだなあ。
 世卓は溜息とともに後頭部を掻く。
「ああ勿体ない。可哀そうなことをした」
 そう嘆き、さらに項垂れた。
「やはり、俺では大事な『お役目』を果たせそうにないよ」
「……どうして、そうお思いになられるのです?」
 廉麟は気遣わしげに首を傾げる。そんな彼女へ優しい一瞥を向けてから、世卓はまた視線を落とし、ぎゅっと握った己の拳を注視した。
「ねえ廉麟。たとえ生活の仕方や考え方が違っていても、同じく漣に住む者同士なのだから腹を割って話し合えばいい、必ずわかり合えるはずだ、と思う俺は――能天気なのだろうか?」
 廉麟は紅唇を閉ざした。
「遠い重嶺山にいる俺が結論を押し付けるのではなく、実際にそこで暮らす者たちが話し合い、それぞれが納得できる合意を自分たちの手で作って欲しいと申し付けるのは――王として無責任だろうか?」
 よく働く大きな手を握ったり開いたりしながら、世卓は続ける。
「俺は農夫だから。天は農夫の俺に漣を任せたのだから、勝手に伸びる草木の世話をするように民の世話をすればいいのだと考えていたけれど――今回は結局、どちらの州も自分で解決する気なんか無かった。いくら話し合いを勧めても平行線、時間が経つばかりで、ついに痺れを切らした香州候が本気で戦を始めてしまった。『主上はいったい何をなさりにいらしたのですか!』と大声で叱られてしまったよ」(しょぼん)
「そんな……!」
 不敬への憤りを露わにする廉麟を、世卓はやんわりと制する。そしてまた、寂し気に微笑んだ。
「俺はだめだ。こんな王では、この畑のように漣も枯らしてしまうかもしれない」
 世卓のやや削げた頬を、生温い潮風がゆるりと撫でて行く。一方の廉麟は見えない手で頬を打たれた気がして、滲む涙を瞬きで隠した。
――どうして、どうしてそんなことをおっしゃるの?!
 廉麟は桃花の唇を強く結ぶ。そしてキリリと眦を上げ、膝を揃えて世卓に向き直った。
「もう……主上ったら!」(ぷんすこ)
「えっ」
 風向きの急変に驚き、世卓も慌てて両膝を揃えて廉麟に正対した。(素直が取り柄です)
「主上は一番大切なことをお忘れですわ!」(まったくもう!)
「……な、何だろう……?」(しまった。廉麟にも叱られる)
 訳がわからず軽く狼狽する世卓に、廉麟はついに頬をぷっくり膨らませた。
「宰輔たる私がこんなに元気ですのに、どうして主上はご自身がダメだなんて決めつけるのです?!天命は少しも失われておりませんわ!」
 世卓の目が点になった。
 しばし黙考の末、間抜けな声をもらす。
「……そうだった……」(←忘れてた?!)
「主上は私を何だとお思いですの?!」(←ホントだよ!)
 世卓はきまり悪げに目を逸らす。
「うん……まあ、それは何と言うか、あれで……」(←可愛い嫁だと思っていたんでしょ?)
 その様子に、廉麟はふと表情を和らげた。
「第一、今回うまくいかなかったからと言って慌てて結論を出してしまうなんて、主上らしくありませんわ」
 白いたおやかな手が、節くれだった働き者の手をしっとりと包む。
「主上は私に教えてくれたではありませんか――畑仕事は生き物を相手にしているのだから、辛抱強く愛情深く世話をし続けないといけないと。主上のお考えはまだ、種を撒いたばかりですわ。芽が出るかどうか、うまく育つかどうか、辛抱強く愛情深くお世話し続けてあげないといけません。ね?そうでしょう?」
 膝と膝を付き合わせ、真正面から見上げてくる紫の瞳はお日様より温かく眩しい。今度は世卓の方が言葉を失った。
「私を信じてください。麒麟が主を選び損なうことはありません。主上は必ず、漣を安らかに豊かにして下さる御方ですわ。まだまだこれからと思って、共に励みましょう」
 まっすぐに慕ってくれる廉麟の微笑みを、世卓は心の底から有難いと感じた。
 込み上げるものを抑えきれず――世卓は目頭を強く押さえる。そして盛大に鼻を啜った後、いつものおおらかな笑みを取り戻す。
「……ありがとう廉麟」
「良うございました。お元気なられて」
 にっこりお返事したのも束の間、突如力いっぱい抱きしめられて、廉麟は小さな悲鳴をあげる。世卓はさらさら流れる金の髪に頬を押しつけ、真摯に詫びた。
「それから、ごめんなさい。廉麟には苦労や心配ばかりかけてしまって――この芋も、今年は種芋分しか取れないかもしれない」
「仕方がございませんわ」
 廉麟は柔らかな声で応じる。
 使い込んだ野良着はざらざら粗くあちこち擦り切れているが、何より廉麟を安堵させる愛しい匂いがするのだ。だからつい、その頼もしい温もりに顔を埋めて鼓動を探してしまう。(すりすり)
 そんな廉麟を、世卓は大切に包み込む。
「でも――来年こそは絶対に、お腹いっぱい食べさせてあげるから。待っていてくれるかい?」
「はい。楽しみにお待ちしておりますね」
 嬉しい返事に頷き、世卓は慎重に腕に力を籠める。
 彼が王道を外れ天命を失ってしまえば、真っ先に傷つくのは廉麟なのだ。それでも廉麟は世卓を信じ、労苦を共にしてくれる。彼女がいるだけで、何だってできる気がする。
「本当に、君がいてくれてよかった……」
 万感の籠る嘆息が、廉麟の心も震わせた。湧きあがる幸せを噛みしめながら、廉麟は潤んだ瞳で彼女の主を見上げる。
「ありがとうございます。こちらこそ、頼りにいたしておりますわ主上」
 二人は自然と零れる微笑みを交わし、また広い胸や滑らかな髪に頬を寄せて互いへの厚い感謝を伝え合う。
 潮風はもはや吹いて来ない。


 こ・う・し・て。
 一向に離れる気配のない二人を見かねて、(否応なく)空気を読むことに長けた使令たちは自ら芋畑へ向かうのであった。
「おっしゃ〜、皆の者、一刻で掘り尽しますぞ〜」(by音頭取りは什鈷)


<了>

* * *  饒筆さまのコメント  * * *

 廉王世卓氏がスウィートなポテトをせっせと栽培しております…… ああっ石を投げないでっ(笑)
 ご安心ください。ご要望通り、ほのぼの系糖分過多になっておりますので、 やさぐれ気分の御方はどうぞ南国の万年新婚夫婦に癒されてくださいね。
 尚、未生さまのみ持ち帰りOKです。嬉しいリクエストをありがとうございました!
 「蘭筆乱文」饒筆さまが5周年記念にリクエストをお受けくださるということで いそいそと応募してまいりました。
 お題は「癒し系廉夫妻のほのぼのスウィート」なお話。
 というわけで、漣国主従の甘くほっこり優しいお話を書いていただきました〜。
 今回もトップバッター! 大変光栄でございます。
 廉麟のおっしゃるとおりでございます。 廉麟が元気でいる限り、廉王の天命が尽きるはずはないのでございます。 最愛の御方に癒された世卓さん、 来年こそは美味しいお芋を廉麟に食べさせてあげてくださいね。
 饒筆さん、素敵なお話をありがとうございました!

(無断転載厳禁。勝手にお持ち帰らないでくださいね!)

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2016.11.10. 速世未生 記
背景画像「吹く風と草花と-PIPOの部屋」さま