「十二国で十二題」其の六(奏)
友 誼
2017/10/02(Mon) 22:53 No.169
「やあ、文姫。こんな夜更けにどうしたんだい」
下の兄はのんびりとそう言った。機嫌よさげなその笑みに、文姫もまた満面の笑みを返す。
「もちろん兄さまを待っていたのよ。訊きたいことが山ほどあるわ」
「おやおや、それは穏やかでないね」
「言うと思ったわ」
文姫は後ろ手に持っていた物を掲げてにっこりと笑む。一筋縄ではいかない兄は僅かに眼を瞠り、それから笑みを深めた。
「なるほど。文姫の本気を見たからには、付き合わなければならないかな」
喰えない兄の懐柔はひとまず成功したらしい。幻の銘酒と謳われる逸品は役立った。文姫は笑みを湛え、酒器を調えた居間へと兄を導いたのだった。
「兄さまがいつ延王と誼を持ったのかなんて無粋なことを聞く気はないけれど」
軽く兄を睨めつけて、文姫は肴を勧める。無論、利広が肴より酒を求めていることは承知の上だ。利広もまた理解しているのか、素直に肴に手を伸ばす。
「聞き捨てならないことを言うねえ」
「今日が初対面でないことなんて、みんな気づいているわよ」
呆れたように肩を竦めると、兄は大きく笑ってみせた。そうだろうね、と軽く返して酒杯を差し出す。文姫は深い溜息をつきながら銘酒を注いだ。
「――で、何を訊きたいんだい」
利広は酒に口をつけ、柔和に笑う。銘酒は思うより兄の心を解いたようだが、文姫がそれを顔に出すことはなかった。
「延王の思惑、かしらね」
雁より泰麒捜索協力依頼を受け、奏は才や恭とともに崑崙を探索していた。此度蓬莱にて泰麒の消息が発見され、麒麟の気配を辿れる使令を借り受けるために、延王は景麒とともに清漢宮へとやってきた。泰麒捜索は、延王自らが奏に出向いて説明しなければならないほどの案件となっていたのだ。
延王と景麒、奏国王家の公での会談にて分かったことは、泰麒を早急に探し出して穢れた使令ともども連れ戻さなければならないこと。そして、公式には顔を合わせたことがないはずの雁国延王と奏国第二太子卓郎君が誼を持っていたことだ。
「延王の、思惑?」
公の話し合いを終えた後、密かに延王と酒席を設けたであろう利広は訝しげに訊き返す。文姫はまたも深々と嘆息した。この兄がそう簡単に本音を語るはずはない。分かってはいるのだが。もう少し手札を見せなければならないか、と思うと溜息しか出ない。文姫は利広を正面から見返した。
「――麒麟がいるあの場では言えなかったけれど、延王は今回のことを静観していたはずよね」
ああ、と利広は軽く頷いた。我が兄ながら察しの良いことだ。みなまで言う必要はなさそうで、文姫は唇を少し緩めた。
「――待っていれば、いずれは泰果が生るはずだからね」
簡潔な兄の返しに、文姫は黙して頷く。この世は各国の独立不羈を尊び、国々の交流を良しとしない。古の隣国の朝が突然斃れたあの日の衝撃を、文姫が忘れることは決してないだろう。他国への干渉は、善意であれど、時に苛烈な制裁を齎すこととなるのだから。
杯を乾かし、文姫に差し出した利広は、薄く笑って告げた。
「氾王もそう言っていたそうだよ」
王なら誰もが考えることだよね、と続けて利広は注がれた酒を美味しそうに呷る。酒瓶を持ったままの文姫は大きく眼を瞠った。ふっと笑いが漏れるが、余計な口は挟まない。兄が情報を開示するということは、その必要があるからだ。文姫は酒瓶を置き、静かに利広の言葉を待つ。
「――今回のことは、戴の将軍が景王に助けを求め、理を知る延王が景王に論破されて始まったという」
聞いて文姫は首肯する。蓬山から直接奏を訪れた延麒がそう種明かしをしたのだ。麒麟が諫言しても王が肯んずることはないだろう案件だから、延麒の言に文姫たちは納得もしたし、延王を動かした景王にいたく興味を持った。今回も、延王が景王を伴うことを期待していたほどに。
「――蓬莱組が慶に集まったのも、氾王が景王に興を覚えたからなのだろうねえ」
「延王が、そんなことを?」
「言うはずがないよね。ただ、景王は王であって未だ王ではない、とだけ」
身を乗り出した文姫に、利広は爽やかに笑ってみせる。
王であって未だ王ではない。
その言葉を胸で反芻し、文姫は腑に落ちたような気がした。そんな文姫を利広は面白げに見つめている。
「景台輔に訊いてみたんだろう?」
「ええ。ますます景王にお会いしてみたくなってきたわ」
景麒は会議後の茶会にて訥々と語ってくれた。無口な景麒に主のことを語らせるのにはそれなりに苦労したが、その甲斐はあった。
「――私たち、永く生きすぎたのかもしれないわね」
永きに亘り、他国の盛衰を見続けてきた。父王が登極して間もない頃によく面倒を見てくれた隣国が覿面の罪で斃れた後、特に慎重になっていたのかもしれない。だからこそ、奏は六百年続く王朝となったのだろうが、それでも時は留まってはいない。新たに芽吹いた若い王朝が、新しい風を吹かせている。その風に、永く玉座にある者がより強く魅せられるのかもしれない。
「――そのうち会えるよ。きっと、これで終わりじゃない」
雁や範を動かすほどの王だもの。そう続けて利広は笑みを深めた。古くは恭の少女王とも誼を結び、今また雁の王との縁をも明らかにした風来坊の兄。文姫は利広を睨めつける。
「――兄さまの言うことは、ほんと思わせぶりだわ」
兄は楽しげに笑う。その笑みの向こうに、まだ見ぬ歳若き女王の笑みを見たような気がして、文姫もまた唇を緩めるのだった。
2017.10.02.
ご感想御礼 未生(管理人)
2017/10/08(Sun) 23:02 No.241
皆さま、拙作にご感想をありがとうございました〜。
大変遅くなりましたが、レスさせていただきます。
あ、実は拙作では文姫ちゃんは陽子主上に会っております。
珠晶も一緒でございます。
09桜祭での素敵絵に触発されて書き流した連鎖妄想でございます(笑)。
視点はかの方ですけどね!
ネムさん>
永く生きすぎた文姫さんには古の覿面の罪を語ってほしかったのですが、
そうは問屋が卸しませんでした(苦笑)。
覿面の罪をリアルで知っている唯一の王朝は、意外に孤高なのかもしれません。
利広が大型換気扇(笑)。かなりツボに入りました〜。
風来坊の太子はやはりきちんとお役に立っているのですよね!
こちらこそ楽しいご感想をありがとうございました。
文茶さん>
永く生きているからこそ新しい風に惹かれるのかな~と思いますね。
私自身もお若い皆さまから刺激をいただいてております(笑)。
やはり利広の存在意義は大きいのだと利広贔屓の私は断言します〜。
篝さん>
文姫をお褒めくださりありがとうございます。
これだけ永く生きた方々を惹きつける陽子主上の魅力もなかなか〜と思ったりいたしますね!
由都里さん>
文姫をお気に召していただけて嬉しゅうございます。
利広を喋らせるのは妹でも大変だろうとの妄想でございました〜。
饒筆さん>
はい、全員宗王の櫨家でございます(笑)。
永く続く王朝には新しいものを受け入れる度量が備わっているのでしょうね。
もしこの時景麒じゃなくて陽子主上が来ていたら、
もっと凄いことになっていたのでしょうね(笑)。