「帰山で十題」其の二
勅 使
2015/10/15(Thu) 00:26 No.132
「景王はいらっしゃらないのね」
茶会の準備をしていた文姫が、残念そうに嘆息する。利達は思わず苦笑を零した。この妹は、胎果の少女王に興味津々だったのだ。
「ほんとうに残念だよ。私も伏礼を廃した女王にお目見えしてみたかった」
利広までがそんなことを言う。利達は呆れ顔で弟妹を嗜めた。
「お前たち、延王と景台輔は火急の用でいらっしゃるのだぞ」
雁の呼びかけで始動した七ヶ国による泰麒捜索。それは、戴の将軍の訪問を受けた慶が、大国雁を動かして始まった。先に事情を説明に来た延麒によると、覿面の罪を心配して止める延王を、景王が論破したのだという。文姫や利広が興味を示して当然だろう。しかし。
今回の訪問は雲海の上からで、使令に先触れさせるという異例な事態だ。気を引き締めて迎える必要がある。利達は利広に眼をやった。
「それに、利広は延王とはお会いしたことがないだろう」
「無論、延王にまみえるのも楽しみにしているよ」
放浪癖のある弟は、清漢宮にいないことが多い。利達の言葉に、利広はにっこりと笑んだ。利達は眉を上げる。そんなとき、先新と昭彰が典章殿に戻ってきた。代わりに文姫が笑みを湛えて立ち上がり、賓客を案内するために堂室を出ていった。
来客時は一度宗王宗麟が六官とともに出迎え、その後茶会という名目で後宮に招待する。王族が統治する奏ならではの流儀だ。利達は先進を見やった。
「如何でしたか」
「挨拶する間も惜しそうだったので、早々にこちらへお招きしたよ」
「なるほど」
いつも合理的な延王が、更に形式を略しているのか、と利達は納得する。そうこうしているうちに文姫が来賓を伴って戻ってきた。
「延王、景台輔をお連れ申し上げました」
堂室に残っていた五人は一斉に立ち上がり、賓客に拱手して礼を尽くした。軽く挨拶を交わした後、文姫に誘われて客人は席に着く。いつもながら飄々とした延王、緊張した面持ちの景麒。初対面の慶の麒麟に明嬉が笑みを湛えて茶を差し出した。
「お初におめもじいたします、宗后妃明嬉にございます。景台輔、どうぞお楽になさってくださいませ」
后妃自らのもてなしに、景麒は眼を見開いている。思った通りの反応だ。最初は誰もがその所作に驚く。
「──景麒、御自ら茶を淹れるのは、其許の主だけではないのだぞ」
延王が楽しげにそう言った。その揶揄に、場が笑いでさざめく。それを受けて利達は口を開いた。
「おお、景王もでございますか。奏では、この父王自ら茶を淹れることも、珍しくはございません。──お初にお目にかかります、英清君利達にございます。景台輔、どうぞよしなに」
利達の挨拶に、景麒はぎこちなく頭を下げる。その様に笑みを送り、延王は場を見渡した。そして、利広に目を留め、おもむろに口を開く。
「──おお、初めてお会いする方がおられるな」
「延王、景台輔、お初にお目にかかります。卓郎君利広にございます。どうぞお見知りおきください」
火急の用と言いながら、延王は楽しげだ。そして、それを受ける利広も慣れた調子で応える。利広と視線を合わせた延王は更に続けた。
「ようやく対面が叶ったな、卓郎君。よろしければ、ゆっくりと旅の話でも聞かせてもらいたいものだ」
「私の方こそ、稀代の名君の誉れ高き延王に拝謁でき、光栄至極でございます。私の拙き旅の話など、ご所望であれば、いつでもお聞かせいたしましょう」
利広は滑らかに受け答えた。延王は笑みを湛えて頷く。それは、利達にとって、どうにも芝居がかって見えた。
「話が弾むのは結構だが、此度は火急の用とのこと、延王のお話を伺いたい」
挨拶が一通り済んだと判断したのだろう。先新が切り出した。景麒の緊張を解すために成された和やかな場が、その一言で引き締まる。居心地悪そうに坐っていた景麒も背筋を正した。それを見やり、延王はゆっくりと語り出す。
「蓬莱探索の結果、泰麒の気配を発見したのだが……」
蓬莱で発見された泰麒は、穢瘁で病んで麒麟の力を喪失し、暴走した使令を抑えることができないでいる、という。泰麒本人の発見のために、こちらの三ヶ国の使令も借りたいのだ、と延王は要望を述べた。それを受けて、問答が始まる。奏側の問いかけに、延王は丁寧に答えた。
病んだ泰麒を連れ戻してよいかどうか、景王と延麒が蓬山に確認しに行っているという。蓬山の許可が得られれば、延王が虚海を渡る。
質疑応答は淀みなく続けられた。やがて議題が出尽くしたとき、黙して聞いていた宗王先新が、厳かに口を開く。
「──使令をお貸しいたそう」
「ありがたきお言葉に感謝申し上げる」
勅使の役目を果たした延王は、深く頭を下げた。その後も細かな打ち合わせが続く。動かせる使令を先に慶に向かわせることを決めて、茶会はお開きとなった。賓客は一夜の休養を取るために掌客殿へと引き上げたのだった。
皆が席を立った後も、利達は残って仕事を続けた。泰麒捜索は最終段階に入ったようだ。蓬莱に気配があるなら、奏・恭・才による崑崙捜索が終了する。要請に応えて手配を終えてしまえば、あとは待機するのみだ。それ故に、妹は新たに齎された景王の情報に色めき立ち、景麒を主賓とする茶会の席を設けたようだ。質問攻めにあうだろう景麒を少し気の毒に思う。利達は独り苦笑を零した。そんなとき。
「そろそろ休んだほうがよいぞ」
穏やかに声をかけられて、利達は顔を上げる。そこには、湯気の立つ茶杯を乗せた盆を持つ父王の姿があった。利達は呆れ顔で父を見つめる。
「──お父さん、確かに昼の接見で宗王自ら茶を淹れることもあると申しましたが、早速実践されるとは」
「お母さんと文姫は、それこそ景台輔をもてなしておるよ」
先新は茶杯を利達に差し出しながら笑った。利達は深い溜息をつく。妹だけではなく、母もなのか。面白がっている父に、利達は訊ねた。
「──延王の許には、利広が行っているのでしょう?」
「ほう、気づいておったか」
先進は福々しく笑う。利達は顔を蹙めて応えを返した。
「どう見ても初対面ではないでしょう、あの二人は」
延王は火急の用と言いながら、清漢宮では初対面となる第二太子と楽しげに会話していた。利広はそつなく対応していたが、滑らか過ぎて初対面とは思えない。先新は大きく笑った。
「こういうことがあるから、利広を咎められないのだよ」
「利広には、内緒が多すぎる。お父さんは利広に甘すぎますよ」
利達は抗議の声を上げる。先新は大らかに笑った。
「その分、お前や明嬉があれを叱ってくれているのだろう? それで丁度よいのだ」
「──お父さんには敵いませんね」
利達は肩を竦めて苦笑する。放浪を繰り返す弟は風来坊の大国の王と誼を結んでいた。確かにそれは奏のためになる。が、誉めるとますます無軌道ぶりが増すだろう。父の言うとおり、己は気儘な弟を嗜める立場にいることにしよう。そう思いつつ、利達は父の心尽くしの茶を啜った。
2015.10.15.