音のない夜のものがたり 其の二
真白に染まる朝
雪が静かに舞い降る。自ら微かな音を立てながらも、強い風の音すら吸い尽くすかの如く降り積もる。夜を呑んだように黒かった地面を、見る間に白く染め上げながら。
「――いつまでそうしているつもりなのだ」
尚隆が呆れた声を出す。雪に見入っていた陽子は、はっと我に返った。伴侶の頭は、すっかり綿帽子を被っている。帽子からはみ出た陽子の髪も、染め変えたかのように白くなっていた。
「ごめんなさい」
素直に謝ることができたのは、頭に雪が積もるくらい待たせてしまったと分かったから。伴侶は薄く笑い、陽子の手を引いて歩き出した。
手近な舎館の扉を叩き、中に入ったときにはもう身体が冷え切っていた。雪塗れの二人を気の毒がった舎館の家公に連れられて飯堂へと向かい、すぐに出された温かな物を食した。白い湯気が窓硝子を薄っすらと曇らせる。陽子は窓の向こうの雪景色を見やった。
「まだ見ているのか」
飽きないな、と伴侶は苦笑する。陽子は口を尖らせて言い返した。
「だって、冬が来るところを見ちゃったんだよ。飽きる暇なんてない」
「身体が冷え切るまで見ることはないだろう」
「今は家の中だもの」
「ああ言えばこう言う」
雪を見る予定はなかったのだが、と続け、伴侶は大きな肩を竦める。陽子は満面の笑みを伴侶に向けて応えを返した。
「その予定外が新鮮だったよ」
伴侶はもう何も言わず、呆れたような笑みだけを返した。
房室に入ってからも、陽子はずっと窓辺に張りついていた。息で窓が曇るだろう、と伴侶が笑う。確かに窓硝子がたちまち白くなっていった。曇った硝子を手で拭いて、陽子は飽かず外を眺め続けた。
少し肩が震えだしたとき、温かなものが覆い被さってきた。大きな体躯で陽子を温める伴侶は、黙したまま陽子の手を握る。大きな手は温かかった。己の指が冷え切っていることに気づき、陽子は伴侶を振り返る。
「――ようやくこちらを見たな」
雪景色は逃げないぞ、と囁かれ、陽子は少し頬を赤らめる。逃げてきたんでしょう、と反論を試みたが、やはり言葉を返す前に唇を塞がれた。陽子は頬を染めたままそっと目を閉じる。雪夜はふたりを包みこみ、静かに更けていった。
「陽子」
名を呼ばれ、目を覚ました。窓辺で伴侶が微笑んでいる。陽子は飛び起きた。夜着を着るのももどかしく、窓へと駆け寄る。静かな夜が明けた朝、外は一面の銀世界だった。
これだけ生きていても、まだ初めて見るものがある。世界は知らないもので満ちている。
真白に染まる朝を伴侶とふたりで飽かず眺め、陽子は感嘆の溜息をついた。
2013.12.22.
先日、冬将軍が大暴れして、我が街はあっという間に真っ白になりました。
よくあることなのですが、居合わせた旅人はかなり驚かれるようでございます。
そんなわけで陽子主上にも驚いていただきました。
皆さまにもお楽しみいただけると嬉しく思います。
2013.12.22. 速世未生 記