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音のない夜のものがたり 其の三

しんしんと深く

 秋が去り、冬が来た。冬の訪れを高らかに告げる使者は、容赦なく何もかもを白く塗り潰していく。鳴り響いていた雨音も、息を潜めるように消えていった。時折聞こえる強い風の音さえも呑みこんで、雪は静かに降り続けた。

 雨が雪に変わる瞬間に居合わせた伴侶は、翠の瞳を大きく見張っていつまでも舞い踊る雪を眺めていた。暮れていく空をも染め上げる牡丹雪が、伴侶の美しい横顔を淡く照らす。白一色の世界の中で、風に靡く緋色の髪だけが色を有していた。しかし、雪はその鮮やかな紅までも染め変えようとする。赤髪が白くなってしまったとき、尚隆は伴侶に声をかけた。
「――いつまでそうしているつもりなのだ」
 伴侶はびくりと肩を揺らして振り返る。そうして驚いたように雪が積もった尚隆の頭を凝視した。慌てて己の髪を見やり、伴侶は僅かに唇を緩める。ごめんなさい、と素直に謝る伴侶の小さな手を取り、尚隆は手近な舎館へと急いだ。

 舎館にて冷え切った身体を温め、腹を満たした。食事中も、房室に落ち着いてからも、伴侶はずっと外を眺めている。尚隆は苦笑気味に声を上げた。
「息で窓が曇るだろう」
「拭けば見えるもの」
 その言葉どおり、伴侶は細い指で白く曇った玻璃を拭う。尚隆が呆れようが揶揄しようがお構いなしだ。こうなったからには、余程のことがない限り、伴侶は窓辺を離れないだろう。肩を竦めた尚隆は、温かな湯気を上げる湯呑みを手にし、雪に夢中な伴侶を眺めた。

 静かに夜は更けていく。音もなく雪が降りしきる。街路の喧騒も、酔客の歓声も、何もかもを吸い尽くしながら。いや、この雪では誰もが家に籠って出てこないだろう。現に尚隆もこうして穏和しく房室の中にいる。というか、穏和しくさせられているのだが。尚隆はくすりと笑い、窓辺の伴侶を見やった。
 気が長い方だとは思う。しかし、久々に会うことができた伴侶とともにいて、ただ眺めるだけだとは。己の我慢強さが可笑しかった。それでも、目を細めて楽しげに白い景色を眺めている伴侶を見つめるだけで愛しさが募る。やがて。

 伴侶は小さく肩を震わせた。尚隆は唇を緩めて立ち上がり、後ろから華奢な身体を抱きしめる。そして、氷のように冷たくなった細い指をそっと握った。伴侶は振り返り、翠の宝玉に尚隆を映す。尚隆は、ようやくこちらを見たな、と笑みを向けた。
「雪景色は逃げないぞ」
 揶揄めいた囁きを耳朶に落とす。伴侶は頬を紅潮させて何かを言いかけた。尚隆は構わず半開きの朱唇を甘く塞ぐ。伴侶はそれ以上抗うことなく、大きく見開いていた瞳を閉じた。我慢の時間を終えて、尚隆は笑みを浮かべる。そして。

 しんしんと深く降り積もるものは雪だけではない。

 尚隆は己の身を以て愛しい女にそう告げたのだった。

2013.12.26.
 なんとか第4弾をお送りできました。
 同じ場所にいても目に映るものが違う。 視点を変えると見えてくるものに萌えてしまう管理人でございます。 皆さまにもお楽しみいただけると嬉しゅうございます。

2013.12.26.  速世未生 記
背景画像「素材屋 flower&clover」さま
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