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御題其の三十六

昏闇の甘い囁き

「──泣くほど、辛いか?」

 素直に頷きたくなるような、優しい声。それでも陽子は振り返らなかった。深い溜息をついた伴侶は、低く囁いた。

「──楽にしてやろうか? 俺が、この手で」

 瞠目した陽子は思わず振り返る。潤んだ瞳に映る、昏い微笑。共に堕ちよう、そう誘う、暗闇の甘い囁き──。
 嬉しい、と──思う自分がいる。このひとは、躊躇うことなく剣を振るい、陽子の首を落とすだろう。そして、笑みを湛えたまま、己をも──。
 陽子は激しく首を横に振った。眩暈がするほど甘やかな誘惑を、振り払うように。己の暗闇に、このひとを、巻きこんではいけない──。
 その双眸は深い闇の色を妖しく湛え、陽子の瞳を覗きこむ。そして、伴侶は甘い口づけを落とす。
「美しいな……。お前のその暗闇に、酔いしれたい」
「──何故、今、そんなことを言うの……?」
 甘美な暗闇の囁きは、尚も続く。「美しい」など……このひとが、そんな言葉を口にしたことはない。暗闇は、どこまで陽子を試すのだろう。

「──国など、どうでもいい。お前と共に逝けるなら」

「──尚隆(なおたか)!」
 ──稀代の名君と称えられる我が伴侶。このひとに、ここまで言わせてしまった己の暗闇の罪深さに、陽子はただ震えるのみだった。

2006.08.30.
 「昏闇」第3回第6章の陽子視点でございます。
 ──「昏闇」第7回に、最終回に、思いっきり詰まっております。 はい、現在進行形で詰まっております!  何故かというと、あっちにいってしまっていた意識が戻ってきて、「恥ずかしい……」と 照れているから、かもしれません……。
 この期に及んで照れるなんて……情けない……。

2006.08.30.  速世未生 記
(御題其の三十六)
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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