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御題其の三十九

(末声注意!)

訪れた現実

「──愛している」

 柔らかな低い声。陽子ははっと顔を上げる。ざわざわと音がして全身の血の気が引いていく。何があろうとも決して口に出されなかった言葉。その意味が分からぬ陽子ではなかった。
 優しく微笑む瞳は、陽子の瞳を受けとめ、避けることなかった。何の迷いも躊躇いもないその双眸を、陽子はただ黙して見つめ返す。

 あなたは、とうとう解放されたくなったんだね……。

 そう思うと、唇に笑みが浮かんだ。それと同時に、瞳に涙が滲む。

 己の存在がこのひとを縛るもののひとつなのだと、陽子は知っていた。国や民が王を縛るように、伴侶たる己はこのひとをこの世に縛りつけていた。このひとは、とっくにこの世に飽いていたというのに──。
 瞬きするたびに、大粒の玉が一粒ずつ零れていった。尚隆はそんな陽子をじっと見つめる。涙が幾筋も頬を伝う頃、陽子は微笑む伴侶にそっと抱き寄せられた。

2006.09.20.
 ──なんで、今頃「末声」なのでしょう? 
 「最後の逢瀬」の陽子視点で、まだまだ表に出せない「慟哭」の一場面です。 桜の季節に書こうと思っているのですが。
 ──なんだか、秋の物悲しさにやられてしまったかしら……。

2006.09.20.  速世未生 記
(御題其の三十九)
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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