先日、Kさまよりご質問をいただきました。
>尚隆が延王として初めて金波宮に訪れたのはいつでしょうか?
>「黄昏」の時? それ以前?
答える前に。私の脳内では
- 「公式訪問」───国賓として公式に訪問すること。
- 「非公式訪問」──私人として非公式に訪問すること。
と理解しております。その際は、事前に鸞や書簡にて訪問要請しているのではないか、と。
その他に、
- 延王の勅使として路門から訪問する場合。
- 延王としてふらりと禁門に現れる場合。
があるのではないかと妄想しております。なので──。
答え。
- 公式訪問としては、「黎明」第1章での即位式が最初でしょう。
- 勅使としては、その後、「黎明」第7章ですね。
そのときに正体がばれなかったことに味を占めた尚隆は、「刻印」や「僥倖」連作でも
勅使として訪れております。
(浩瀚は「刻印」で気づいておりますが)
- 延王としてふらりと禁門に現れたのは、「僥倖」後でございます。
Kさまのおっしゃるとおり、「睦言」では既に陽子も周りも慣れておりますので。
- 延王としての非公式訪問は「黄昏」第3章が最初ですね。
延王としてふらりと現れた最初の場面というのは、書いたことがなかったな〜と思い、
御題にしてみました。(「黄昏」第18回にまた少し詰まりましたので……笑、えない)
私的にはこれで矛盾がないのですが……。Kさま、皆さま、如何なものでしょうか?
ご意見お待ちいたしております。
2006.11.07. 速世未生 記
(御題其の四十八)
Kさま
2006/11/08 23:13
遅ればせながら、疑問解決編ありがとうございます。
なるほど、とすると「僥倖」以降は延王としてお忍びで遊びにしょっちゅう遊びに来ている
のですね〜、皆がなれるくらいですから(笑)
なにかあって延王として来訪したのではなく、ふらりと(延としては)
ごく普通にバラしたのですねぇ。
じゃ、そうなると次の疑問。
国府の官吏は勅使として、禁門の警護たちは延王としてしか尚隆と会っていないので
それでよいのですが、燕朝内の者、高官や近従、お世話をする天官などは
まだ人手がたりないのだから両方の尚隆と会うことになるはずですね。
遠目にしか会わないのなら雰囲気の違いで気づかないかもしれませんが、
お世話係になった掌客殿の天官もしくは鈴や祥瓊、玉葉なんかは間近で会う可能性が高いですよね。
勅使が実は延王だったと気づいてびっくりしたり、なんで勅使に変装を?
と疑問に思ったりしないのかしら?
…重箱の隅つつきまくりで、しかも煮詰まりからの逃げ道を提示しているような気もします(笑)
が、どうでしょう?