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御題其の七十八

路亭の先客

 延王尚隆は、主がいない金波宮の庭院を散策していた。女王は側近と隠れ鬼をしているところらしい。そんなことを大きな声で言ったなら、女王と側近の両方から大目玉を食らうだろうが。
 襦裙を握りしめて頬を紅潮させていた女史を思い浮かべ、延王尚隆はくつくつと笑いを漏らす。脱兎の如く逃げ出したという女王は、いったいどこに隠れているのだろう。捜すともなく気儘に宮を逍遥する尚隆であった。
 ああ、よい天気だ。気候のよい慶の国、こんな天気のときは、少し汗ばんでくる。尚隆は手近の路亭にて一息入れようとした。が。
 路亭には先客がいた。陽だまりに丸くなっていた赤虎猫が、抗議するような目で侵入者を見つめている。その、綺麗な緑色の瞳が、捜し人を思わせ、尚隆は微笑した。
「悪いが、相席させてはもらえぬか?」
 そう声をかけると、猫はそっぽを向いて大きな欠伸をした。尚隆はそれを了承と受け取り、静かに腰を下ろす。それから、猫の観察をした。
 つややかな毛が陽射しに煌いている。その赤味の強い毛も、宮の主たる女王を思い起こさせ、尚隆は笑みをほころばす。視線を感じたのか、猫は頭を擡げ、尚隆をじっと見つめた。
 猫としばらく見つめあった。猫は目を逸らさぬままに立ち上がり、ゆっくりと尚隆に近づいてくる。そして、手の届かぬ距離を保つ場所に腰を下ろし、更に尚隆を見つめる。尚隆は笑みを湛えたまま猫の観察を続けた。
 やがて、猫は再び立ち上がり、ゆっくりと尚隆との距離を詰めてきた。緑の瞳には好奇心が溢れている。若き伴侶もよくこんな目をして見上げてくる。そう思うと、猫でさえも愛しく思える。
 その伴侶は、どこに隠れているのだろう。尚隆はしばし猫から目を逸らし、伴侶の面影を追った。そのとき。
 膝に柔らかな感触がした。見ると、猫が尚隆の膝の上で丸くなっていた。目を見張って凝視しても、猫は知らんぷりする。尚隆は軽く息をつき、猫の背を撫でた。
「お前は、案外積極的だな」
 どこかの誰かと違って、と思いつつも背を撫で続けた。しばらく猫の温もりを楽しんだ後、尚隆は猫に告げる。
「お前には悪いが、俺はそろそろ行かねばならぬ」
 猫は抗議の声を上げ、尚隆の膝から動こうとしない。尚隆は苦笑して猫を抱き上げる。そして、ゆっくりと立ち上がり、綺麗な緑の目を覗きこんだ。陽の光に細くなった瞳がじっと尚隆を見つめ返す。
「宮の主を捜しておる。お前、どこにいるか知らぬか?」
 尚隆は答えを得られぬことを承知で猫にそう訊ねた。はたして猫は小首を傾げ、短く鳴いた。それからぴょんと飛び降りると、ゆっくりと歩き出す。まるで、ついてこいと言うように。
 後ろを歩いていくと、猫は庭院の奥の繁みの中に消えていく。不思議に思って覗きこむと、そこに膝を抱えてすやすやと眠る女王が隠れていた。

「──見つけた」

 尚隆の密やかな声に、翠の瞳がおもむろに開かれる。尚隆は笑みを湛え、それを見守った。そして、驚きに見張られた瞳を捉え、声を発しようとする朱唇を甘く熱く封じた。
 頬を染める伴侶と繁みを抜け出すと、赤虎猫はもういなかった。また今度めぐり会えたら、猫の気が済むまで膝を貸してやろう。そう思い、尚隆は微笑した。

2007.11.07.
 先日、といっても結構前になりますが、「猫が出てくるお話を」とお声をいただきました。 実家の猫が旅立ってから何年も経ちました。 もう実家に猫がいることはないのですが、今でも猫は好きです。
 御題にしてはちょいと長いのですが、赤虎猫にほだされてしまいましたので……(苦笑)。 どうぞお許しくださいませ。
 今回、登場の赤虎猫、実はモデルがおります。 旧友Mの家にいた「アッカ」という名の赤虎猫。 いつもきっちり毛づくろいをし、毛並みは常にツヤツヤ。 目の色までは覚えておりませんが、旧友M宅の数多の猫の中でも、特に印象に 残っている猫でありました。
 猫って気紛れで、呼んでも来ないくせに、気を逸らすと膝の上に来るんですよね。 そんなところも好きだったな〜。
 Tさま、お待たせいたしました。 いつも何かとお世話になっているのに、こんな粗品でごめんなさい〜。 お気に召していただけると嬉しいです。

 陽子視点も書いてみました。 よろしければ御題其の七十九「眠り姫のように」もご覧くださいませ。 (2007.11.08.追記)

2007.11.07.  速世未生 記
(御題其の七十八)
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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