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御題其の七十九

眠り姫のように

 追っ手を振り切った景王陽子は、庭院のこんもりした茂みの中に落ち着いた。ほっと一息つくと、眠気が襲ってくる。陽子は目を閉じた。
 あのひとが来てくれたらいいのに。昔読んだ絵本のように、口づけで起こしてくれたらいいのに。
 そんな少女めいた想いに自嘲の溜息をつく。それでも、陽子の意識は次第に薄くなっていった。

 気がつくと、陽子は猫になっていた。何故に猫? そう思いながらも、逃走した女王は、誰にも見咎められぬ姿に満足していた。
 右往左往する臣たちを尻目に、猫になった陽子はゆうゆうと庭院を歩いた。陽だまりの気持ちよさそうな路亭を見つけ、足を向ける。軽やかに跳躍し、日向に丸くなった。このまま、ほとぼりが冷めるまで昼寝をしよう。そう思ったとき。
 突如現れた人影に、陽子は威嚇の目を向ける。しかしそれは、予想もしない人物だった。陽子は目を見開いたまま、笑みを向ける男を凝視した。

「悪いが、相席させてはもらえぬか?」

 なんであなたがこんなところに。

 猫の口では言えぬ一言を飲みこみ、陽子はふいと横を向く。延王尚隆はそれを許可と取ったらしく、ゆっくりと路亭に入ってきた。

 ──なんだか、緊張する。

 猫になったはずなのに。それとも、猫になったからなのだろうか。
 視線を感じて振り向くと、優しい笑みを浮かべる伴侶と目が合った。陽子は吸い寄せられるようにその眼に見入った。
 そう、いつも、ずっと見つめていたいのに、伴侶の唇がそれを許さない。猫だから、見つめることができる。陽子は立ち上がり、ゆっくりと伴侶に近づいていった。
 目を逸らすことなく歩み寄り、手の届かぬ位置で立ち止まり、腰を下ろす。伴侶はまだ陽子を見つめていた。

 もう少し、近くで見たい。

 陽子は少しずつ伴侶との距離をなくしていった。ふっと息をつくと、伴侶は目を宙に向ける。

 私から目を逸らすなんて、酷い。

 陽子は猫になったことを忘れ、少しむっとした。そして、伴侶の膝で丸くなる。驚く視線を無視したままに。猫でなければできないことだった。

「お前は、案外積極的だな」

 苦笑じみた声を漏らし、伴侶は陽子の背を撫でた。その心地よさに、陽子はしばし伴侶の膝でまどろんだ。

「お前には悪いが、俺はそろそろ行かねばならぬ」

 猫にまでそんなことを断るなんて尚隆らしい。そう思いながらも陽子はまだ嫌だと抗議の声を上げる。伴侶はまた苦笑し、陽子をひょいと抱き上げた。そして、愛しむような瞳で覗きこみ、陽子に問うた。

「宮の主を捜しておる。お前、どこにいるか知らぬか?」

 捜してくれていたんだ──。

 そう思うと胸が熱くなった。陽子はぴょんと飛び降りる。そして、伴侶を己が隠れている繁みへと誘った。

 早く私を見つけて。

 眠りながら、鼓動が高まるのを感じた。やがて聞こえる密やかな声。

「──見つけた」

 口づけがほしい。

 口に出せる一言ではなかった。

 猫のままなら、上手に甘えられるのに。

 素直になれない己を切なく思い、ゆっくりと目を開ける。目の前に、愛しいひとの優しい瞳があった。驚きに眼を見張っているうちに、伴侶は甘く熱い口づけをくれた。

 ああ、猫じゃないから、おねだりする必要がないのかも。

 そう思うと、頬が熱くなる陽子であった。

2007.11.08.
 「素直な陽子主上」──私には敷居の高いお話でございました。 なので、陽子主上には猫になっていただきました(笑)。安易でごめんなさい〜。
 Fさま、やっぱり私には無理でございました。 拙宅の陽子主上は、猫になっても「まだ嫌だ」なんて色気のない言葉しか 口に出してくださいません〜(泣)。 せっかく「色」な科白をくださったのに……。
 またしても御題にはちょいと長めなお話となりました。 私の苦悩が滲み出ているようですね(苦笑)。 もう少し寝かせようかとも思いましたが、午後の予定が少し変わったので、 今アップしちゃいます〜。

2007.11.08.  速世未生 記
(御題其の七十九)
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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