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御題其の百二十七

風の止まり木

(風漢さまのお好みは翡翠のようですから、いらしていただけると助かります)

 陽子は妓楼の女将の言葉を何度も反芻していた。女将が頭を悩ますくらいに煩い尚隆の好みの女が、翡翠。鏡に映っていた色気のない己の花娘姿を思い浮かべ、陽子は頬を熱くした。
 陽子は立ち上がり、おもむろに鏡を覗く。いつもの陽子がそこにいた。己の顔を見やり、小さく溜息をつく。
 尚隆が、妓楼に行きながら花娘を抱かない時もあるなど、考えもしなかった。

 それなら、何故、あのひとは、妓楼に行くのだろう──。

「何を考えこんでいるのだ?」
 いつの間に現れたのか、尚隆が陽子の後ろで笑っている。陽子は振り返り、じっと伴侶を見つめた。

「──あなたはどうして妓楼に行くの?」

 陽子は常になく素直に思いの丈を訊ねた。尚隆は大きく目を見開き、陽子を見つめ返した。
「珍しい質問だな」
 やがて、尚隆は楽しげにそう言った。陽子は少し首を傾げつつも伴侶の目を覗きこむ。
「そうかな?」
「答えを知りたいか?」
「うん」

「──お前の悋気を見たいからだ、と言ったどうする?」

 尚隆はいつもの如く人の悪い貌をする。そして、意外なことを言った。陽子は目を見張って問い返す。
「私が焼餅を焼いたら、もう行かないわけ?」
「そうだ、と言ったら?」
 尚隆は表情を変えずに問いを重ねる。陽子は唖然として尚隆を見つめ返した。尚隆は可笑しそうに訊ねる。
「そんなに驚くことでもなかろう?」
「──無理しなくていいよ」
 陽子は唇を緩め、肩の力を抜く。そして、伴侶の首に腕を絡めた。尚隆はくすりと笑ってそのまま陽子を抱きしめる。陽子は目を閉じ、その抱擁に身を任せた。

 風の漢を名乗る我が伴侶。風は気儘に吹くものだ。言葉で縛ることはできない。勿論、この腕に引きとめることも。だからこそ、このひとときが愛おしい。

「──難儀な女だな」

 密やかな声がした。顔を上げると、伴侶の苦笑が目に入る。開きかけた唇が塞がれた。

 もう、答えは返ってこないだろう。それでもいい。この風の止まり木になれれば、それで。

 陽子はそう思い、再び目を閉じたのだった。

2009.10.20.
 中編「戯事」後日譚でございます。 玄英宮に戻った当日の夜、というところでしょうか。
 昨日書き流したものの、題名をつけられずに放った小品でございました。 今朝起きて推敲し、題名をつけて出してみました。
 はい、ストレス更新でございます。 文書もうひとつ、頑張って仕上げます〜。

2009.10.20. 速世未生 記
(御題其の百二十七)
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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