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御題其の百三十九

(末声及び利陽注意!)

春風のいざな

 葉ずれの音がした。暖かな風が頬を撫でていた。そして、温かなものが陽子の手に触れていた。いったいそれは何なのだろう。そっと目を開ける。己の手に重なる手が見えた。手ら腕へ、腕から首へ、首から顔へとゆっくりと辿っていく。愛しむように見つめる瞳と目が合った。

「おはよう。よく眠れた?」

 楽しげな口調。頭が混乱する。今は朝ではない。思い出すまで少し時が必要だった。風来坊の太子はただ笑みを浮かべて陽子を見つめていた。

 陽子は宮城の庭院にいた。桜の幹に背をつけて、気紛れな旅人に凭れていた。身体の右側が温かい。そして、一回り大きな手が重ねられた右手も温まっていた。陽子はゆっくりと身を起こし、隣に坐る太子に声をかけた。
「──利広。私……眠ってた?」
「うん、気持ち良さそうに」
 だから一人で飲んでいたよ、と利広はにっこりと笑う。酒肴を乗せた盆がすぐ傍にあった。二人で桜を見上げていた時には何もなかったはず。怪訝な顔をして見つめると、利広は楽しそうに続けた。

「さっき祥瓊が置いていってくれたよ」

 どうやらお許しが出たようだね、と利広は笑う。確かに、他に人の気配はない。いつも誰かがあの回廊に佇んでいるのに。心配そうに陽子を見守っているのに。
 陽子は黙して利広を見上げた。見つめる瞳も重ねられた手も温かかった。そう、陽子は漸くこの手が必要なのだ気づいたばかりだったのだ。
 もう一度、利広の肩に頭を預ける。利広は空いている左手で陽子の肩を抱いた。何も言う必要はない。緩やかに時が流れていく。やがて、散りゆく花弁を見つめ、利広は静かに問うた。

「今夜は、君と一緒に眠らせてくれる?」

 陽子は目を見張った。ゆっくりと唇を緩める。そして、優しく熱く見つめる瞳を真っ直ぐに見つめ返し、笑みを浮かべて頷いた。

2010.05.31.
 久々の本宅更新でございます。でも、御題でごめんなさい〜。
 祭掲示板に投下した小品「緋桜と春風と」の続編になります。 さすがに祭に出すことは自粛いたしました。 いつか、この続きも仕上げられたらいいなと思います。

2010.05.31.  速世未生 記
(御題其の百三十九)

ひめさま

2010/06/02 23:21

 そうだよね〜
 利広の手も大きかったんだよね〜
 温かかったんだよね〜

 と、今更ながら思うのであります(ふぅ〜)

未生(管理人)

2010/06/03 09:11

 ひめさん、いらっしゃいませ〜。
 はい、私的妄想では「陽子の手は小さい」のでございます。 自分の手が大きいからかもしれません。 いえね、ピアノを弾くには大きいほうがよいのですよ。 でもね〜、やはり大きい手はあまり可愛くないのでございます〜。
 重ねてみると改めて解る、ずっと傍にいてくれたひとの手の大きさと温かさ、 というところでしょうか……。
 なかなか先に進めない利広のお話にご反応をありがとうございました!
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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