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御題其の百四十一

ある雨の日に

 その日は朝から雨が降っていた。しかし、忙しなく動き回る人々は、誰もそんなことを気にしてはいない。それは、女史祥瓊も同じであった。

 急ぎの書簡を届けに訪れた国主の執務室。堂室の主はいなかった。祥瓊は訝しげに辺りを見回す。そのとき、庭院に面した大きな窓が静かに開いた。祥瓊は思わず身構える。入ってきたのは、国主景王その人であった。
「陽子!」
 祥瓊が悲鳴を上げるのも無理はない。執務中のはずの王が、全身ずぶ濡れで現れたのだから。
 それでも有能な女史は冷静だった。書簡を書卓に置き、すぐさま下官を呼び寄せて必要なものを持ってくるよう言いつけ、雫を滴らせる主を大きな布で包んだのだ。
「──もう。いったい何をやっているの」
 髪を拭きながら詰問すると、陽子は無言で肩を竦める。祥瓊は深い溜息をついた。そのまま官服を脱がせると、小衫までがぐっしょり濡れている。
「──呆れた」
「──大袈裟だな。雨に濡れたって風邪を引くわけでもないんだし」
 陽子はぶつぶつと言い返す。祥瓊は陽子を睨めつけた。
「王だからって雨が除けてくれるわけではないのよ。着替えなければならなくなるって分かってなかったでしょ」
 陽子は再び肩を竦める。それから、ちらりと窓の外に目を走らせた。つられて外に目を向けると、しとしとと降る雨の向こうに咲き初めた桜の花が見える。

 ああ、春に呼ばれたのなら仕方ない。

 春と桜をこよなく愛する女王に、祥瓊は黙して苦笑を送ったのだった。

2010.06.29.

 今年の桜祭に出した小品「優しい雨」の祥瓊視点の続編をお送りいたしました。 何を今さら桜の話……。けれど、ずっと祭のログを弄っていたので、ご勘弁を!
 北の国は、ここ5日ばかり真夏の暑さが続いております。 暑さで少し頭がおかしくなっているのかもしれません〜。お粗末でございました。

2010.06.29. 速世未生 記
(御題其の百四十一)
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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