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御題其の百五十九

桜咲く

 公の用で来訪していた隣国の女王を唆し、玄英宮を抜け出したのは、下界に雪が降っていたからだ。そういうことにしておこう、と北国雁の国主は思った。実際、雪を好む景王陽子は、晩冬の雁の空を舞う牡丹雪に目を細めていた。伴侶である尚隆に目もくれぬほどに。

 山間の小さな街の舎館に落ち着いてから、陽子は窓辺を離れない。春を思わせる淡い青空に踊る風花を嬉しげに眺めているのだ。
 子供のように楽しげな伴侶を見つめるのは面白い。だがしかし、久しぶりに会えたのに、こちらをちっとも見ないとは。尚隆は大いに不満だった。そんなとき。

「桜咲く……」

 伴侶は不意に歌うようにそう呟いた。いつか早春に降る雪を、牡丹より桜といった方が似合う、と笑った伴侶。しかし、今の呟きはそれとは何か違うような気がした。
「なんだ、それは。桜が咲くのはまだ先の話だろう」
 訝しさを隠さずに問うてみる。はたして伴侶はくすりと笑い、窓の外を眺めたままに応えを返した。

「合格、という意味だよ」

 同じ胎果といえど、尚隆と陽子がいた時代は五百年も違う。簡潔な説明ではわけが分からないことが多いのだ。尚隆は重ねて問うた。
「合格?」
「うん。高校とか大学を受験して、受かったら『桜咲く』」
 相変わらず風花を見つめながら伴侶は答える。合格を桜の開花に例えるとはなかなか風流だ。そう思いながらも、尚隆は更なる疑問を訊いてみる。
「ほう。それで、受からなかったときは何というのだ?」
「確か……『桜散る』」
 少し自信がなさげに応えを返す伴侶。気持ちがこちらに戻ってきているようだ。尚隆は内心の笑いを隠しつつ駄目押しの問いを投げかけた。

「──桜は、咲いてから散るものではないか?」
「確かにそうだね。考えたことなかったけど」

 伴侶はとうとう窓辺から視線を逸らした。驚いたように目を見張り、尚隆をまじまじと見つめて応えを返す。尚隆は会心の笑みを見せて忌憚ない想いを口にした。
「やっとこちらを向いたな」
 漸く伴侶の関心を取り戻した尚隆は、その華奢な身体を抱き寄せて、桜花の如き瑞々しい唇をゆっくりと味わったのだった。

2011.04.04.
 いつも拍手と気持玉をありがとうございます。 本日めでたくお仕事の大きな山を越えました〜。
 解放感に満ち溢れて書き流しました。 どちらに上げようか悩みましたが、前回の御題の視点違いなので、やはりこちらにいたしました。 軽い小品で失礼いたしました〜。

2011.04.04. 速世未生 記
(御題其の百五十九)
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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