御題其の百六十五
たより
筆を置き、陽子は深い溜息をつく。衝動的に書いてしまったけれど、届ける当てはない。ちくりと胸が痛んだ。
蓬莱には、もう二度と帰ることはないというのに。
母に向けて書いた手紙を見下ろして、陽子はただ苦笑を浮かべる。衝動が涙を齎すことはなかった。それだけの年月が経っているのだろう。故郷を恋うて泣いていた頃を少し懐かしく思う。そんなとき。
「よう」
陽気な声をかけられて、陽子はびくりと肩を震わせた。その隙に、現れた賓客は書卓に広げられた手紙を掠め取る。ざっと目を通し、延麒六太は固まる陽子ににんまりと笑って見せた。
「ぽすとに入れてきてやるよ。宛名を書きな」
六太は屈託なくそう言ってのけた。固唾を呑んでいた陽子は呆れて脱力した。そんな陽子の肩を軽く叩き、六太は忍び笑いを漏らす。
「早くしねえと煩い奴らに見つかるぞ」
「──延麒には敵いませんね」
苦笑交じりに応えを返し、陽子は再び筆を取る。実家の住所を書き記す手が震えることはなかった。墨が乾くのを待ち、紙を折りこむ。陽子が手紙の体裁を整えるまで、六太は黙して見守っていた。
自分は元気だとだけ記した短い消息。家族に届くかもしれない、など考えもせず、無心に書いた手紙。陽子は万感の想いを籠めて封筒を六太に差し出した。
「六太くん、ありがとう」
唇から素直な礼が滑り出る。六太は手紙を懐にしまいながら、共犯者の笑みを見せた。
2011.08.29.
長い夏休みが終わりました。解放感に満ち溢れて書き流した御題でございます。
夏休み前に「No.6」を借りてまいりました。
そのせいか、書店で目が合ってしまったのでございます、
「あさのあつこ先生の国語 文章力をみがく」という本と。
ノリで買ってしまい、斜め読みをしつつ、「思い出を遠くに住む祖父母に伝える」
というワークをやってみようとワードを開けました。
なのに、書き上がったものは、なんと陽子主上から母への手紙。あれぇ?
まあいいか、とその後の陽子主上の気持ちを追って書き上げたのがこの小品でございます。
お粗末でございました〜。
2011.08.29. 速世未生 記
(御題其の百六十五)
まつりさま
2011/08/29 20:37
心の中がほんわかと暖かくなるような素敵なお話ですね。
尚陽が大好きだけど、陽子と六太のふたり話もなんとも言えない雰囲気があって
いつも楽しみに見せてもらっています。
未生(管理人)
2011/08/30 06:09
まつりさん、いらっしゃいませ〜。お久しぶりでございます。
実は祭用の甘い作品に食傷して書き上げた小品でございます。
お気に召していただけて嬉しいです〜。お声を上げていただけてもっと嬉しいです!
メッセージ、ありがとうございました。