御題其の百六十六
ある海客の手記
「こんにちは」
その瞬間、時が止まったような気がした。鮮やかな紅の髪、浅黒い肌、澄んだ翠の瞳。爽やかに笑うそのひとに見蕩れた。そして気づく。
日本語だ──。
どっと涙が溢れた。目が覚めた時に覗きこんでいた人々のカラフルな髪の色、見たことのない衣服、そして、聞いたことのない言葉。パニックを起こした。だって、いつもどおり学校から帰宅していたはずだったのに。制服を着たまま、カバンを持ったまま、奇妙な世界に紛れこんだ。何も分からず、ただ怯えていたのだ。
「──辛かったんだね。もう大丈夫だよ」
優しい言葉をかけられて、涙が止め処なく流れた。声を上げて泣き出した私が落ち着くまでずっと頭を撫でてくれたそのひとは、ゆっくりと語り始めた。ここは日本ではない。日本から流されてきた者は海客と呼ばれる。海客はこの慶東国では保護対象とされ、役所に届け出れば、様々な保障を受けられるのだ、と。
事情を説明されて、もう帰れないのだと納得した。そのひとに連れられて役所で手続きを済ませ、住む所を世話してもらった。
「どうしてこんなに親切にしてくれるの?」
「私も、最初は苦労したから。気持ちはよく分かるんだ」
眩しい笑みを見せるそのひとは、どう見ても日本人には見えない。そんな心を読んだように、そのひとは笑う。
「私は海客じゃなくて、もともとこちらの人間だったんだけどね」
胎果というんだ、とそのひとは補足した。それから、じゃ頑張ってね、と手を振り、去っていく。何とか引き留めたい、と思った。そんなとき、スカートのポケットに入っていた携帯電話に手が触れた。
「待ってください」
訝しげに振り返るそのひとに携帯電話を翳して叫んだ。
「記念に写真を撮らせてください」
そのひとは目を見張りながらも頷いた。眩しい笑顔の写真が一枚。そして、二人一緒に、と言ってくれたそのひととともに画面に収まる。そのツーショットは、壁紙にした。
月日は流れ、こちらの言葉を覚えた私は、そのひとの正体を知った。もう一度会えないかと仄かな想いを抱いていたそのひとは、慶東国国主景王。文字どおり、雲の上の人だった。
「──どうして王さまのくせに気軽に現れたのかな」
そうひとりごち、唇を緩める。そんな王さまが治めるこの国に流れ着いた幸運に感謝しながら。そして、私はこの国の王さまが女性であることにまだ気づいていなかった。
2011.09.20.
ここしばらく尚陽ばかり書いていたので、ちょっと甘くないものを書きたくなりました。
ついでに第三者視点のものを書く練習を兼ねて(笑)。
あ、携帯電話はきっと防水だったのでしょう(苦笑)。
もう充電もできないので、普段は電源を切り、ときどき眺めていた、ということで。
てか、そんな解説が必要なものを書くな!
さてさて、次の連休までの3日間、頑張って書き進めます〜。
2011.09.20. 速世未生 記
(御題其の百六十六)
まつりさま
2011/09/20 23:23
第三者視点の文章、新鮮ですね。
赤楽の年号になって、かなり月日が流れ充実した法整備を終えたあとなんですね。
防水携帯に、ソーラー充電の携帯アクセサリーをつけていたら無敵ですよ〜♪
もしかしたら常世でも写真とれちゃうかもです(^^)v
未生(管理人)
2011/09/21 06:23
まつりさん、いらっしゃいませ〜。ご感想をありがとうございます!
1980年代後半に陽子主上が流されたと仮定して、
今の段階でもう二十数年が経っているのですよね〜。
彼女は雁の海客保護制度を体験しているし、
自分の朝が整えばこれくらいのことはできているかな〜との妄想でございました。
ソーラー充電! そんな便利なものがあるのですか! 凄い!
それならば常世でも写真を撮り続けられるかも、ですね。
メッセージ、ありがとうございました。