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御題其の百七十五

日常茶飯

 脱兎の如く逃げ出す国主と裳裾を絡げて追いかける女史が遠目に見えた。噂によく聞く現場を初めて目撃し、延王尚隆は笑いを堪える。せっかくだから高みの見物をしよう。そう思い、尚隆は気配を殺して二人の後を追った。

 官服の陽子と襦裙の祥瓊では自ずと差がついてしまう。しかも、陽子は武断の女王だ。日頃の鍛え方が違うのだろう。追手の祥瓊は早々に息を上げ、足を縺れさせる。小さく声を上げた祥瓊に気づき、陽子は軽やかに駆け戻り、倒れかけた華奢な身体を支えた。
 束の間、二人は見つめあう。祥瓊の頬が次第に朱に染まっていく。尚隆は苦笑した。その気持ちは分からなくはない。陽子の勁い瞳で覗きこまれて平静を保てる者は余りいないだろう。そして、陽子にはその自覚がほとんどない。
 陽子はついと目を逸らし、祥瓊を支えていた手を動かした。肩に触れ、腕を撫で、遂には祥瓊の細腰を抱いたのだ。声こそ聞こえないが、祥瓊の驚いた顔は見ものだった。しかし、陽子は固まる祥瓊に頓着することない。そのまま祥瓊をふわりと抱きしめた。
 線は細いが美青年然とした陽子が流麗な祥瓊を抱く様は、なかなか絵になる。尚隆は唇を緩め、しばし美しい情景に見入った。

 やがて、陽子は複雑な貌をして祥瓊から身を離す。が、気の強い女史は己を取り戻し、友の奇妙な行動を問い質した。相変わらず声は聞こえないが、祥瓊は弾けるように笑い出す。陽子の答えがさぞや面白かったのだろう。今度は陽子が困惑して首を傾げていた。
 笑い止めた祥瓊は、戸惑う陽子の手を引いて歩き出す。尚隆はそっと後をつけた。行先は――。
「――おやおや」
 これはしばらくかかりそうだ。尚隆は笑いを噛み殺し、静かにその場を離れた。

「――あれ、延王。いらしていたのですか?」
「いいところに来たようだ。祥瓊、よい仕事をしたな」
「お褒めに預かり光栄ですわ」
 国主の執務室で寛いでいると、美しい襦裙で装った女王が現れた。己の仕事を全うした女史は、優雅に頭を下げる。普段は襦裙を嫌がる女王は、気恥ずかしげに目を逸らす。尚隆は陽子に歩み寄り、恭しくその手を取って唇をつけた。
「目の保養になる」
 にやりと笑って見下ろした。女王は真っ赤な顔で固まっている。そして、祥瓊は会心の笑みを浮かべて拳を握っていた。

 金波宮の日常風景を垣間見て、延王尚隆は大満足したのだった。

2012.01.18.
 本日、裏作業を一旦置いて、お仕事文書を仕上げました。 解放感に満ち溢れて書き流した小品でございます。
 御題其の百七十二「非日常茶飯」の尚隆視点になります。 「非日常茶飯」、外から見たらどうなんだろ……と思うと手が止まりませんでした。 でも、尚隆、全然動揺してないし(苦笑)。
 少しでもお楽しみいただければ嬉しく思います。

2012.01.18. 速世未生 記
(御題其の百七十五)
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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