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御題其の百八十九

美味しいもの

「こんにちは」
「おう」
 陽子は控えめに声をかけた。ぶっきらぼうな応えを返す海客の男は手を止めなかったが、陽子を認めて僅かに口角を上げる。陽子は安堵した。邪魔にならないところを探して腰を下ろす。そして、弾んだ声で男に話しかけた。
「ご領主さまが、献上品にびっくりしていたよ。こんな美味い酒は飲んだことがないって」
「そうか」
「――嬉しくないの?」
「美味くないものを差し上げるわけがないだろう。あれは美味いんだ。お前もそう思っただろう?」
「私は……」
 飲んでいない、と言えずに陽子は口籠る。男は初めて手を止めた。そのまままじまじと陽子を見つめる。そうして弾けるように笑い出した。
「ああ、お前のようなお子さまにあの美味さが分かるわけがないな」
 ちょっと待ってろ、と言い置いて男は立ち去る。少しして、どこか懐かしい独特の甘い匂いが漂ってきた。見ると、男は湯気の立つ湯呑みを持っている。
「飲んでみろ」
「もしかして、甘酒?」
「そうだ。よく煮てあるから、お子さまでも酔わないはずだぞ」
 男はにやりと笑って陽子に湯呑みを差し出す。陽子は頬を膨らませてそれを受け取り、無言で口に含んだ。しかし、精一杯の抵抗もそこまでだった。
「美味しい!」
 濃厚で風味豊かな甘酒の味わいに、陽子は感嘆せずにはいられなかった。男は腕を組み、尊大に首肯する。
「当然だ。美味い酒は粕まで美味いもんだ」
 次からはお子さまのために酒粕もおまけに付けてやる、と続けて男は笑う。
「お前が酒の味が分かるようになる頃には、もっと美味い酒になっているからな」
 男は子供のように無邪気な顔をしてそう言った。ほんとうは男よりも年上の陽子は、微笑んで頷くことしかできなかった。

2013.01.09.
 拍手其の三百五十二「貢物のおまけ」を改稿してもってまいりました。 焼き直しでごめんなさい。
 謹賀新年を下げたくて、でも、ワードを開けてみても末声しか見当たらなくて(苦笑)。 年明け早々末声よりはましかなと思って出してみました。 いつかきちんと書いてみたい書きかけ作品のひとつで、 小品「貢物」@慶国小品(夢幻夜語)の元のお話の一場面でございます。
 お粗末でございました〜。

追記
 本日の北の国、この冬一番の冷え込みでございました。 我が街の最低気温は−12.2℃、隣街はなんと―22.7℃、 私の体感気温は−18℃くらいでございました。 最高気温も−4℃でしたので、搗いて伸したお餅を包んで外に放置いたしました。 3時間で包丁により切れる硬さになりましたよ。 北国が伸餅を作るわけでございます(笑)。

2013.01.09. 速世未生 記
(御題其の百八十九)
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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