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御題其の百九十二

七夕の午後

 いつもの如く気儘に訪れた慶主の執務室は、蛻の殻だった。書卓にはきちんと片づけられた書簡の山があり、小卓には空の茶杯が残されている。延王尚隆は窓辺に歩み寄り、庭院を見下ろした。
 重たげに短冊を飾る笹が微風に揺れている。そして、色とりどりの短冊よりも鮮やかな緋色が、緑濃い若木に寄り添っていた。

 植えたときにはほんの苗木だったのに。

 そう呟いて、細い枝に可憐な花をつける桜の樹を切なげに見上げていた春。あっという間に背丈より高くなってしまった若木に重ねられた面影を思い、尚隆は黙して伴侶を抱き寄せた。
 憧憬を籠めた瞳で景王陽子を見上げていた小童は、いつしか養い親を追い越すほど背が伸び、しっかりと己の考えを持つ少年へと成長していた。そして、志す道を歩むために巣立っていったのだ。

 弟のように思ってきた少年を送り出した伴侶は、今も切ない想いを抱きつつ桜の若木を見上げているのだろうか。尚隆はゆっくりと庭院へ足を進めた。
「いらっしゃいませ、延王。今年はお早いお着きですね」
 気配に聡い女王は声をかける前に振り向いた。まだ宴の準備も始まっていませんよ、と続けるその顔に翳りはない。尚隆は苦笑を浮かべて応えを返した。
「――元気そうだな」
「お蔭さまで」
 伴侶は鮮やかな笑みを見せる。そして、五色の短冊に飾られた笹に歩み寄った。様々な願事が書かれた短冊の一枚を手に取り、尚隆を促す。陽子の願いが叶いますように、と記されていた。
「皆が、私の願いを叶えてくれます」
 蘭桂の短冊の他にも同じ言葉が記されたものが幾つもある。尚隆は唇を緩めた。
「忘れられていなくてよかったな」
「またそんなことを」
 そう言って唇を尖らせる伴侶は年相応の少女に見える。背だけでなく、やがては見かけも追い越されてしまう。そんな淋しさを抱きつつ、伴侶はそれでも蘭桂を弟のように可愛がるのだろう。
 にやりと笑って頭に手を置く。ありがとう、とはにかんだ小さな声がそれに応えた。

2013.08.07.
 いつも拍手をありがとうございます。久々の更新でございます。 今頃七夕? はい、本日は北の国のほとんどの地域が七夕でございます。 というわけで、七夕のお話を書き流しました。
 昨年の七夕小品、御題其の百八十一「七夕を前に」、 百八十二「冢宰の密かな楽しみ」、百八十三「若木の想い」の尚隆視点の 続編でございます。よろしければお楽しみくださいませ〜。

2013.08.07. 速世未生 記
(御題其の百九十二)
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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