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御題其の百九十七
仰天の攻防
堯天の街中を伴侶とふたりで歩いていた。賑やかしい広途、雑踏に紛れると、互いに王だということも忘れていられる。陽子にとっては貴重な時間であった。そんなとき。
「あ、あの……!」
呼び止める少女の声は聞き慣れたものではない。陽子は訝しげに振り返る。そこには、顔を朱に染めた少女が緊張気味に立っていた。
「何か?」
「――先日はありがとうございました!」
少女は深々と頭を下げた。陽子は首を傾げたが、静観していた尚隆が楽しげに笑っている。陽子はしばし記憶を辿り、ああと納得した。いつぞや伴侶と街を漫ろ歩いていた時に行き会った少女だ。
「あの時の、貧血を起こした方だね」
「――覚えていてくださったのですか。ありがとうございます」
少女は嬉しげにまた頭を下げる。陽子は首を横に振り、笑みを返した。
「いや、結局何もできなかったから。気にしないで」
いいえ、と少女は返し、ますます頬を染めて口籠る。陽子は不思議に思い、首を傾げて少女を覗きこんだ。少女は目を見張ったまま立ち竦む。そのとき、気配を消していた伴侶が楽しげに口を挟んだ。
「――これの名は、宝珠。因みに俺は風漢という」
伴侶は勝手につけた字を楽しげに披露する。陽子は軽く眉を顰めた。硬直していた少女はそれを聞いて顔を蹙める。そして、初めて気づいたように陽子の隣に立つ尚隆を睨めつけ、つっけんどんな声を上げた。
「ありがとうございます。でも、あなたには訊いていません」
羞じらっていた初々しい少女の豹変に、陽子は絶句した。しかし、伴侶は爆発的に笑い出す。そんな尚隆を、少女は挑戦的に見上げた。伴侶はまだ笑いながら少女に応えを返す。
「――これは鈍いから、はっきりと告げた方が良いと思うぞ」
「余計なお世話です」
鋭く言い放ち、少女は陽子に向き直る。そしてまた、頬を染めて可愛らしく頭を下げた。
「宝珠さま、ほんとうにありがとうございました。私はそこの茶屋で働いておりますので、是非お寄りくださいね。おまけしますから!」
少女は早口でそう言うと、陽子の返事を待たずに駆けていってしまった。残された陽子はしばし呆然と立ち尽くす。やがて。
「ああ、名前も言わずに行っちゃった……」
「そのうち機会があるだろう。積極的な娘だからな」
伴侶はそう言ってまた笑う。陽子はわけが分からずまたも首を捻った。
伴侶と少女の攻防は、そんな予言どおり、その後も時々繰り広げられ、陽子を仰天させたのだった。
2014.01.31.
「堯天の攻防」陽子視点をお送りいたしました。 実はこちらが先でございました。 けれど、どうもしっくりこなくて尚隆視点を仕上げたのでした。 こんな言葉遊びをするくらい頭壊れております(苦笑)。
遅くなってごめんなさいでした〜。おやすみなさい!
2014.01.31. 速世未生 記
(御題其の百九十七)
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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