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御題其の百九十八

金波宮の日常茶飯

 襦裙を見るなり脱兎の如く逃げ出す陽子を、祥瓊は今日も追いかける。
「陽子、待ちなさい!」
「待つわけないじゃないか!」
 その言葉どおり、官服で疾走する陽子の背はどんどん遠ざかっていく。そして、回廊の角を曲がり、見えなくなってしまった。息切らす祥瓊は、その場にへたり込んだ。

 少しくらい待ってくれてもいいのに。

 手にした襦裙に目を落とす。陽子のために、簡素ながら洒落たものを選んだ。きっとよく似合うだろうに。女王の威儀を保てと言っているわけではない。ただ、娘らしく美しく装ってほしいだけなのに。祥瓊は悲しい気持ちになる。そんなとき、笑いを含んだ声が降ってきた。

「懲りないな」

「――余計なお世話だわ」
 祥瓊は横を向いて尖った答えを返す。桓魋かんたいは堪えきれない、というふうに笑い出した。それだけで、一部始終を見られていたのだと知れる。祥瓊は顔を蹙めて立ち上がった。早くこの場を離れたい一心で。しかし。
「あっ」
 祥瓊は小さな悲鳴を上げた。足が痛くて巧く立てない。よろけた祥瓊を、桓魋は素早く支えた。
「大丈夫か」
「平気よ」
 短く返し、身を離すと再びふらついた。小さな嘆息が聞こえかと思うと、いきなり身体が宙に浮く。
「な、なにするのよ!」
「大丈夫じゃないだろう」
 簡潔な応えとともに、桓魋は祥瓊を抱き上げたまますたすたと歩き出す。祥瓊は身を硬くして押し黙った。けれど。

 こんなことが、前にもあったような気がする。それはいつだったろう。

「昔、こんなことがあったな」
 懐かしげに呟く声。同じことを思い出していたのか、と祥瓊は目を見張る。桓魋は和やかな笑みを見せた。
「あの時は物騒なことから逃げていた。今は、平和だな」
「――そうね」
 明郭で、刑吏に石を投げて追われた。囮になってくれたのは陽子、そして桓魋が足を痛めた祥瓊を負ぶって逃げてくれた。
「あの頃から男装で市井を闊歩する王さまだったわね、あの子は」
 軽く溜息をつきつつも祥瓊は唇を緩める。桓魋は笑って頷いた。緊張が、嘘のように解けていく。それから、二人は他愛ない会話を続けた。やがて。
「さあ着いた。無理しない程度に頑張れよ」
「あ……ありがとう」
 素直な言葉が唇から滑り出る。桓魋は僅かに目を見張り、それから満面に笑みを浮かべた。
「どういたしまして」
 ただそれだけのことなのに、頬が朱に染まる。祥瓊は羞恥と戸惑いに混乱したまま自室に逃げこんだ。

2014.01.30.
 1/31まで開催されたRさま宅「あっ」祭りに滑り込みで投稿いたしました 第2作でございます。
 実はしばらく家入レオちゃんの「チョコレート」という曲にきゅんきゅんしまくり、 可愛いお話を書きたくなってしまったのでした。 けれど、内容は全く関係ございません。そんなんばっかりですね(苦笑)。
 こちらは桓祥未満ということで御題で出すことにいたしました。 あちらでご覧になられた方もいらっしゃると思いますが、 お楽しみいただけると嬉しゅうございます。
 Rさま、ありがとうございました!

2014.02.07. 速世未生 記
(御題其の百九十八)
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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