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御題其の二百一

嘘と真

 辺りは静まり返っていた。耳が痛くなるほどの静寂に足を止める。そして。
 迫りくる重い空気に息を呑む。これは、殺気。景麒はその場に立ち竦んだ。
「景麒! 退っていろ!」
 主は瞬時に前へ走り出、襲いかかる兇刃に立ち向かう。たちまち剣戟の音が響き渡り、血の臭いをも振り撒いた。主の紅の髪が鮮やかに翻る。決着はすぐに着いた。
 小気味よい音がしたと同時に剣がひとつ地に落ちた。腕を押さえて逃走する刺客に一瞥をくれ、主は水禺刀を鞘に収める。そして、静かに景麒を振り返った。

「――済まない」

 掛けられた沈痛な声。景麒はすぐさま駆け寄ろうとしたが、主はそれを片手で制した。
「それ以上近寄るな。身体に障る」
「――お怪我は」
 景麒はそう訊ねるのが精一杯だった。主は即座に短い応えを返した。

「――大丈夫だ」

 そして、戻ってゆっくり休め、と続ける。王命は下された。主の命に背くことができない景麒は、深く頭を下げてその意を容れた。

 その後、主は執務室にて通常どおりの政務を執った。まるで、何事もなかったかのように。景麒は人知れず溜息をつく。再度訊ねても、主は、大丈夫、と繰り返すだけだろう。無論、身体は大丈夫だと分かっている。景王陽子は武断の王、その腕は既に冗祐に頼る必要もなくなっているのだ。しかし、主の王気は明らかに翳っていた。

 景麒は泰麒捜索の折の内宰の乱を思い出していた。国と民を思っての行動が臣には巧く伝わらず、不信を買うこともある。あのとき叩きつけられた不遜な言葉に、主が如何に傷ついたことか。未だ王に剣を向ける者がいる、その事実に主が心を痛めぬはずはない。それでも。
「――景麒。どうした?」
 景麒は黙して主を見つめた。こんなときにも、景麒は的確な言葉を掛けられずにいる。ただ、側にいるだけで。そんな景麒を見返して、主は鮮やかに笑う。

「私は大丈夫だ。心配するな」

 常に臣を案じ、己の弱さを隠す。景麒が選んだ主は、こんなにも王だ。だからこそ、主を信じ、支える。

 いつもお側に。

 そう誓い、景麒は深く頭を下げた。

2014.05.28.
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 某さま5/22企画物に本日挑戦してみました。 1時間で1本書く、という企画でございます。 当日は祭で手一杯でございまして……(苦笑)。
 さすがに、1時間で1本仕上げるのは結構難しいですね。 書いたはいいものの、管理人にも全く状況が見えません。 いったい何があったの〜!? 景麒、言葉が足りないよ!  ってそれは管理人のせいか……? ま、まあ、御題だからいっか。
 そんなわけで、桜とは違う風味の小品でございました。 お楽しみいただけると嬉しゅうございます。
 あ、因みに、お題は「君が吐いた嘘と本当」でございました。

2014.05.28.  速世未生 記
(御題其の二百一)
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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