「目次」 「玄関」 

御題其の二百二

泣き処

 政務を終えて自室に戻ると、景王陽子は深い溜息をついた。茶を淹れる気力もなく榻に沈みこむ。陽子は低く呟いた。

「――まだ、王に剣を向ける者がいる」
 いや、王に、ではない、陽子に、だ。

 胸を過る、泰麒捜索の折の内宰の謀反。あのときは、泰麒と一緒にいた。そして、今回陽子は景麒と共にいた。突然の襲撃に、景麒は蒼白な顔をして立ち竦んだ。無論、今の陽子が簡単にやられることはない。すぐに刺客を退けた。しかし、景麒を危険な目に遭わせる隙を作ってしまった、という事実は消えない。

 血の臭いに病む麒麟を前に、剣を振るうなど。

 陽子は自嘲の笑みを浮かべる。未だ己は王として立てていない。景王として胸を張れる日など来ないような気さえした。そんなとき。
 かたり、と小さな音がした。咄嗟に水禺刀に手をかける。が、細く窓を開けて滑りこんできた影は、笑い含みの声を上げた。
「――熱烈な歓迎だな」
 聞き慣れた明朗な声に、陽子は気を緩めて手を下した。
尚隆(なおたか)。どうして……」
「理由が必要なのか?」
 伴侶は片眉を上げて訊き返す。陽子は答えに詰まり、小さく嘆息した。そんな陽子を抱きしめて、伴侶は低く笑う。
「物騒なことがあったようだな」
 陽子は眼を見張った。何故、と問いかけようとして、それは愚問だと気づく。陽子は、抜刀しようとしたのだ。
「――あなたには、敵わないな」
 陽子は淡く笑んだ。肩の力を抜き、伴侶に身を預ける。ぽんぽんと背を叩く大きな手。陽子は促されるままに小さく呟いた。
「――私は、不甲斐ない」
 無茶ばかりするからだ、低い笑声が落ちてくる。そんなことはない、と反論することはできなかった。伴侶はくしゃりと陽子の頭を撫でてまた笑う。
「随分と弱っているようだ」
 来てよかった、と微かな声がした。含みのある言葉に、陽子は顔を上げる。深い色を湛える双眸が、愛しむように陽子を見下ろしていた。

「――あまり心配をかけるな」

 密やかで切ない声。きつく抱きしめる腕。まるで、何もかも知っているような。陽子は伴侶の肩に額をつけて小さく呟いた。
「ごめんなさい。でも……」

「お前は王だ」

 揺るぎない王者の声。陽子ははっとした。頭を擡げると、延王尚隆が景王陽子を見つめていた。

「お前が、景王だ」

「――はい」
 このひとは、いつも陽子に自信を与えてくれる。稀代の名君と称される隣国の王を見据え、景王陽子は力強く首肯した。王の貌をした尚隆がひとつ頷く。そして、深い溜息をついた。陽子は首を傾げる。

「――ほら、分かっていないだろう、班渠」

 応えの代わりに密やかな笑い声が響く。伴侶は再び溜息をついた。陽子は床を睨む。
「班渠、お前が知らせたのか」
 不機嫌な問いに返事はない。それは消極的な肯定だ。陽子は隠形したまま姿を見せぬ使令に怒声を上げようとした。が、その前に伴侶が嗜める声を上げる。

「心配をかけるなと言ったろう。俺にも、景麒にも、だ」

 陽子は口籠り、横を向く。伴侶は楽しげに続けた。

「景麒はお前に弱い」
「台輔だけではございません」

 黙していた班渠が笑い含みに口を挟む。伴侶は破顔してそれに答えた。

「お互いさまだな。俺も、景麒も、班渠、お前も」

 わけが分からず眉根を寄せる陽子を、ふたつの笑声が優しく包むのだった。

2014.06.13.
 いつも拍手をありがとうございます。今週はなんとか金曜更新できました〜。

 其の二百一「嘘と真」の陽子視点続編で、こちらも某さま5/29企画物でございます。 当日半分書いて撃沈いたしました。やはり夜に1時間体を空けるのは無理!  というわけで、6/9に仕切り直しました。 今日読み返すと、削りすぎてわけが解りませんでしたので書き足しました。 お蔭さまで御題にしては少し長いお話となりました。 祭の小品は千文字くらいを目安に書いておりましたので、そのせいかもしれませんね〜。

 因みにお題は「僕の弱点イコール君」でございました。 尚隆も班渠も自分では言いたがらないので大変苦労いたしました(苦笑)。 お楽しみいただけると嬉しゅうございます。

2014.06.13.  速世未生 記
(御題其の二百二)
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
「目次」 「玄関」