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御題其の二百九

小彦星

 美しい料紙を手にして執務室に現れた女史祥瓊と女御鈴が、下に送ったわよ、と楽しげに笑んだ。聞いて景王陽子は筆を置く。そして、差し出された細長い料紙を受け取り、友たちに笑みを返した。
 もうじき七夕だ。蓬莱の行事である七夕は、すっかり金波宮の歳時記に組み入れられた。この時季になると庭院には笹が立てられ、皆の願いが認められた短冊が飾られる。その中には、瑛州の少学に在籍する蘭桂のものも含まれるのだろう。
 胎果の陽子のために、と七夕を企画してくれたのは、幼い桂桂だった。長じた蘭桂は、官吏になるという夢を叶えるために宮を巣立った。弟のように可愛がっていた養い子を思い、陽子は唇を緩めた。
 己も様々な願い事を記し、陽子は渡された五色の短冊を笹に飾る。国主の執務室には、料紙を手にした側近が入れ代わり立ち代わり現れては国主に笑みを送り、自ら笹に吊るしていった。そして日が経ち、七夕当日になったのだった。

「主上」
 一声かけて執務室に入ってきた冢宰浩瀚が恭しく拱手する。そして、政務が落ち着かれたようですね、と涼やかな笑みを見せた。景王陽子は多少身構えて己が股肱を見つめ返す。
「どうした」
「お出まし願いたいところがございます」
 浩瀚はそう続けて軽く頭を下げる。七夕当日に、国主が赴かなければならない案件とは何なのか。その割に、浩瀚に緊張した様子は見受けられない。陽子は眉を顰めて問うた。
「どこへ行けと?」

「小彦星の許へ」

「――なに?」
 浩瀚の笑いを含んだ簡潔な応えに、陽子は首を傾げた。彦星といえば思い浮かぶのは我が伴侶。けれど、隣国の王は七夕の宴には自ら姿を見せる。では、浩瀚の言う小彦星とは誰なのか。陽子の疑問に答えることなく浩瀚は話を進める。
「もう短冊は送ってございます故、織姫さまにご回収いただきたく存じます」
「――お前の言うことはよく分からない」
 冢宰に改まって彦星だの織姫だの言われても、陽子には何が何やら分からない。浩瀚は困惑する陽子に楽しげな笑みを向けた。

「大きな彦星殿はお呼びしなくても気儘にいらっしゃいますが、小彦星はどうにも遠慮深いですからね」

 そこまで聞いて、陽子は漸く小彦星が誰のことを指しているのかを理解した。まさか冢宰がそんなことを言うとは。祥瓊や鈴の謎かけならば、すぐに分かっただろうが。陽子は素直に感想を述べた。
「――お前がそんなことを言うとは思わなかったよ」
 浩瀚は笑みを浮かべたまま頭を下げる。陽子は粋な計らいをしてくれた冢宰に笑みを返した。
「ありがとう、浩瀚。行ってくるよ」
「どうぞお気をつけて」
 恭しく拱手する冢宰に見送られ、陽子は小彦星の許へと急いだ。

 以前、桜花信をくれた蘭桂に会いに行ったことがある。そのときには、桜の樹の下にて窓辺を見上げた。けれど、此度は短冊の回収という目的のためにきちんと面会の許可を取った。蘭桂が驚く様を想像しながら待つことも一興だった。
 はたして現れた蘭桂は眼を瞠ってその場に立ち尽くす。思った通りの反応に、陽子は眼を細めて声をかけた。
「小彦星に会いに来た。七夕だからね」
「彦星に失礼じゃない?」
 即座に答え、蘭桂は苦笑を浮かべる。陽子は笑みを湛えて続けた。
「大きい彦星は勝手気儘にやってくるから、遠慮深い小彦星が優先だよ」
 聞いて蘭桂はまたも眼を瞠った。陽子はそんな蘭桂を見上げて大きく頷く。しばし黙した蘭桂は、苦笑を深めて頭を下げた。

「――光栄です、織姫さま」

 照れくさそうにそう言う蘭桂は大人びて見える。頼もしい。けれど、少し淋しい。そんな想いを隠し、陽子は弟のように可愛い小彦星に笑みを返したのだった。

2015.08.20.
 いつも拍手をありがとうございます。

 今頃七夕? はい、本日は旧暦の七夕でございます。 先月仕上げ損ねた御題其の二百四「織姫さま」の陽子視点を仕上げてみました。

 昨年は「織姫さま」を出した後に休止したんだったな〜とか思い出してしまいました。 今、少しずつでもお話を書ける状態に戻りつつあることに喜びを感じております。 まだまだリハビリ中ではございますが、皆さま、 今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

2015.08.20.  速世未生 記
(御題其の二百九)
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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