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御題其の二百十七

ささやかな幸せ

 仄かに感じていた陽光の気配が次第に近づいてくる。景麒は手を止めて微かに唇をほころばせた。隣国に行っていた主が帰ってくる。それは、景麒にとって、何よりも嬉しいことだった。
 手早く仕事を片付けて、景麒は執務室を後にする。頃合いを見て、禁門に出て主を迎えようと思ったのだ。大仰な、と咎められるかもしれないが、主が出かける前に側近に託した置き土産の礼を言いたかった。

 禁門へ出向くと、まもなく空から影が飛来した。主を乗せた班渠だ。景麒は拱手して頭を垂れた。
「お戻りなさいませ」
「――景麒」
「主上がどこにおられるか、私にはいつでも分かります」
 どうして、と眼で問う主に、景麒は端的に答える。主は軽く頷いて苦笑を零した。主を降ろした班渠は景麒に一礼して主の足許に消える。景麒は主の後ろについて歩き出した。

「留守中、変わりはなかったか」
 主は歩きながら問う。景麒は、是、と答え、それからおもむろに礼を述べた。
「祥瓊たちが茶会を開いてくれました。ありがとうございます」
 主上の置き土産を賞味する会、という名称だった、と付け足すと、主は軽やかな笑い声を立てた。
「で、どうだった?」
「美味しゅうございました」
 そうか、と主は鮮やかな笑みを見せる。そして、楽しげに言葉を続けた。

「私は景麒が大好きなんだ」

 景麒は主の言に動きを止める。

 いま、何と仰いました?

 口を開いてみたが、声は出ない。景麒のそんな様子には気づかないのか、主はそのまま口を継いだ。
「あれは会心の出来だった。お前にも喜んでもらえて嬉しいよ」

 主が何を言っているのか分からない。

 景麒は混乱した。声は出ない。足も動かない。不意に主が振り向いた。硬直して絶句する景麒を不思議そうに見つめる。
「――どうかしたか?」
 景麒は応えを返すことができなかった。主は足早に景麒のところまで戻り、景麒を見上げる。

「美味しかっただろう、木の実のぱうんど景麒」

 景麒は再び硬直する。主上の置き土産を賞味する会が胸を過った。

 主が雁へ旅立った日、女史から茶会への出席を求められた。主の留守中に茶会を開くなど、常にないことだ。戸惑いながらも出向いた景麒を待っていたものは、主が手ずから作った「木の実のぱうんどけーき」と、皆の笑顔であった。作ってから日を置くと味が馴染む菓子だ、と女御は笑った。

 けーきと景麒。

 そうだったのか。やっと腑に落ちて、景麒は脱力する。再び頭を垂れてなんとか応えを返した。
「――はい、美味しくいただきました」
「うん、嬉しいよ。けーきと景麒は似てるよな、と思いながら作った」
 にっこりと笑う主は鮮やかに美しい。景麒は唇を緩める。主の大好きなけーきに名前が似ていてよかったのかもしれない。

「また作るから、景麒」

 主は楽しげに笑う。けーきと景麒、どちらを指しているかは分からないながら、景麒は心から同意して頷いた。

2015.12.25.
 いつも拍手をありがとうございます。

 12/12に行われました #十二国記総選挙 のお祝い文(?)を書いてみました。 1位の陽子主上と8位の景台輔、おめでとうございます!

 何気に短編「陽光」@長編「滄海」余話の後日譚でございますが、 読んでいなくても解ると思います (「陽光」は尚陽前提ですので苦手な方は閲覧しないでくださいね〜)。 陽子主上がいると景麒は幸せになれる、という(笑)。 お楽しみいただけると嬉しゅうございます。

 主催さま、皆さま、ありがとうございました〜。

 そして、メリー・クリスマス!

2015.12.25.  速世未生 記
(御題其の二百十七)
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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