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御題其の二百十八

月の一夜

 また来る、と馴染みの花娘に声をかけて、片手を挙げた時だ。見覚えのある若者が、?虞を連れて現れたのは。尚隆は我知らず顔を蹙めた。
 あれ、と小さな声が聞こえた。すぐに尚隆を認めた若者は、相も変わらず清々しい笑みを浮かべる。花娘が訝しげに二人を見比べた。尚隆は低く問う。

「――どうしてこんなところにいる」
「そろそろ頃合いじゃないか。無軌道な王が禁苑の整備を始めたとか言うから、墓でも作るのかと思ってさ」

 奏南国第二太子卓郎君利広は、生臭いことを言いながら爽やかに笑む。尚隆は片眉を上げたが、すぐに唇を歪めて苦笑を返した。悠久の時を放浪して過ごしている風来坊の古狸は穿ったことを言う。が、これ以上利広の相手をする気はなかった。
「世話になった」
 緊張した面持ちで見守っていた花娘の肩を叩き、尚隆はおもむろに歩を進めた。風来坊の太子が話しかけてくることはない。
「世話になるよ」
 朗らかな声が聞こえたが、尚隆が振り返ることはなかった。

 雁州国元州の天領、碧霄。靖州との境にあるこの小さな街に霄山はある。延王尚隆は己が整備を指示した禁苑に向かっていた。
 埋もれていた隧道も綺麗に整えられ、崩れかけていた堂宇は小さな離宮に建て替えられた。荒れ果てていた園林も見違えるように整備されていたが、松の根元に作られた塚だけはそのままだった。無論、松は大きくなっているが。
 小さな石が載せられた塚に酒を満たした杯を供え、尚隆は手を合わせる。それから己も手酌で酒を飲んだ。時はゆっくりと過ぎていく。やがて。

「やっぱりここにいたね」

 思いがけない場所で出会ったもう一人の風来坊の声。尚隆は振り返ることなく応えを返した。
「――やはり来たか」
「さすがに手ぶらじゃないよ」
 招かれざる客人はそう言って笑った。尚隆は利広を見ずに酒杯を差し出す。満たされた酒は上質なものだった。尚隆は黙して酒を飲み続ける。利広もまた何も言わなかった。

「――大逆を起こした悪党の墓だそうだね」

 利広はぽつりと呟いた。如才のないこの男は、妓楼で花娘からあれこれ聞き出したのだろう。尚隆は簡潔に返す。
「巷間に膾炙するとはそういうことだ」
 尚隆は月に照らされて白く光る石を眺めながら酒を飲む。利広はひっそりと問うてきた。
「墓を作るくらい親密だったんだ」
「――斡由は良い官吏を残してくれたからな」
 荒廃した雁の中で、元州だけが豊かだった。その元州を支えてきた官吏が、そのまま残ったのだ。小さく息を呑む音が聞こえ、利広はしばし沈黙した。

「大逆を起こした罪人が残した官吏を登用したのかい」

「有能な人材を喪うのは勿体なかろう? 雁には人がいなかったのだから」
 言って尚隆は唇を歪めた。利広は深い溜息でそれに応える。やがて、苦笑交じりの声が聞こえた。

「――支離滅裂だね」

 利広の言い分は尤もだ。斡由は人望篤かった。その内実はともかく、心酔していた官吏は多い。いつ寝首を掻かれるか分からない状態など、奏の太子が作ることはないだろう。しかし。

「天意を試したい奴は、直接王と打ち合えばよい」

 もしも尚隆にほんとうに天意があるのならば、逆臣に討たれることなどないはずだ。それに、全ての者に支持される君主などいない。

「ねえ、何故、今ここを整備させたの?」

 苦笑しつつも利広の問いは真摯だ。だから、尚隆も率直に答えを与える。

「国庫に余裕ができたからだ」

 あの頃は何もなかった。売れるものは何もかも売り払った。なりふり構うことなくできることをやっていた。そして今の繁栄がある。

「邪魔したね。酒は置いていくよ」

 そう言い残し、南国の太子は去っていく。尚隆は最後までその顔を見ることなく片手を挙げた。月が、綺麗な夜だった。

2015.12.26.
 いつも拍手をありがとうございます。

 ツイッター上で開催されている「#十二国記絵描き文字書き60分一本勝負」 第8回「思いがけない出会い」というお題で書いてみました。

 本日はリアル参加、時間超過の75分。少し丁寧に仕上げたい小品でございました。 実は「帰山で十題」其の六「花娘」の初稿の一部でございます。 あの時は語ってくれなかった尚隆が、今日は口を開いてくれました。

 捏造過多な作品ではございますが、お楽しみいただけると嬉しく思います。

2015.12.26.  速世未生 記
(御題其の二百十八)
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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