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御題其の二百二十

月夜の途

 月夜をふたりで歩いていた。街から離れた山際の廬、気紛れな大国の国主が持つ隠れ家のひとつへと向かっている。雲上にある宮の露台でもなく、隔壁に囲まれた街の広途でもない。そんな野外の暗い夜道は、陽子に遠い昔を思い出させた。

「――夜がこんなに暗いなんて、知らなかった」
 ぽつりと呟きが零れた。妖魔に追われて巧の山野を逃げ惑い、戦って過ごした日々が胸を過る。魔物が蠢く闇夜に愕然とした。月などなくても歩ける夜しか知らなかったのだ。夜を照らす無数の灯り、それがない世界があるなど。

「山陰の月すら明るく見えた……」
 小途を静かに照らす月を見上げ、陽子は小さく溜息をつく。この光がなければ、足許すら見えないのだ。山に隠れた月が眩しく思えるほどの真闇。その中で見つけたもの。

「山には、白く浮き上がる樹があった……」
 白いものは夜闇の中では僅かな光でぽっかりと浮かび上がる。夢中で駆け寄った。その樹の傍では、妖魔に襲われないこともいつしか学んだ。後に名を知った、野木の傍ならば。
 野木がなければ、助からなかったかもしれない。身も心も追いつめられていた。闇は、己の不安や不信を暴き立てたのだ。耳障りなあの声が、すぐ傍で聞こえるような気がした。物想いに沈みかけた、そんなとき。

「夜が暗いわけを知っているか?」

 唐突に笑い含みの声がした。今まで陽子の問わず語りを黙して聞いていた伴侶だ。問われたことの意味が分からずに、陽子は歩みを止めて伴侶を見上げる。そんな陽子の顔を、身を屈めて覗きこみ、伴侶は楽しげに答えた。

「寄り添うためだ」

 にやりと笑う伴侶が陽子の肩を引き寄せる。陽子は眼を瞠った。肩に置かれた手は温かく、見つめる瞳は柔かい。まるで暗い空を明るく照らす月のように。陽子は唇を緩め、肩の力を抜く。あのときは、独りだった。いまは、ふたりきりで歩いている。
「じゃあ、月が明るいわけは?」

「ふたりで見上げるためだ」

 躊躇いがちな問いかけに、伴侶は明快に即答する。堪らず笑い声を上げた。月だけが頼りの暗い夜が、月の淡い輝きに包まれた夜に思えてくる。陽子は頭を伴侶の広い肩に預けた。
「あなたといると、悩んでいるのが莫迦らしくなる」
 陽子は伴侶の温もりを感じながら夜半の月を見上げる。くすりと笑い声を零した伴侶は、静かに陽子の身体に手を回した。
 しばし互いの温もりを楽しんだ後、ふたりは再び月が照らす途を歩き出す。夜が暗いわけは、陽子の胸をほんのりと温めた。

 青白い光を放つ月は、ゆっくりと小途を歩むふたりを優しく見守るのだった。

2016.02.24.
 いつも拍手をありがとうございます。

 御題其の二百「夜半の月」陽子視点をお届けいたしました。
 めちゃめちゃ久しぶりの更新ですね! そんなに空けたつもりはなかったのですが……(苦笑)。 大変失礼いたしました。

 「夜半の月」、ほんとうは陽子で書きたかった小品でございました。 前に地元の峠を夜に通った時に、あまりの真闇に震撼いたしました。 信心深くない運転手も「なんかいそう……」とスピードを上げてしまう始末。 確かに事故が多い峠、こんな理由があったとは。 山陰の月さえ明るく見える闇、畏怖を感じました。 きっと東京育ちの陽子主上も十二国世界の闇の深さに驚いたのではないか、 と妄想いたしました。 けれど、「夜半の月」を書いた時はどうにも語ってくださらず、 尚隆視点で書き上げたのでございました。

 都会の空は明るいですよね〜。 街から1時間のキャンプ場に出かけても空だけは明るくて、都会なんだなと実感いたします。 そして、月どころか星さえ明るく見える田舎の町に想いを馳せてしまうのでした。

 久々だと後書きも長いですね(苦笑)。

2016.02.24.  速世未生 記
(御題其の二百二十)
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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