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御題其の二百二十四

昔の逸話

「――昔話をしてやろうか」
 ふらりと帰ってきた朱氏が不意にそう言う。近迫は皺深い顔に笑みを浮かべて頷いた。

 かつて王に狩られて黄海を去った朱氏が黄朱の里に帰ってきたとき、近迫はたいそう驚いたものだ。王と共に雲海の上の住人となったからには、そのまま王の許に留まり、戻ることなどないと思っていたのだから。
 頑丘は何も語らなかった。ただ、元のように黄海に入っては騎獣を狩る生活を黙々と続けた。そのまま、仙籍に入って止めていた時を動かし、歳を重ねていったのだ。

 近迫は茶を淹れて、静かに頑丘が語り出すのを待った。しばし遠くを眺めていた男は、湯呑を手に取って茶を啜り、おもむろに口を開いた。
「――あんたはあのとき、あの娘が鵬雛だと言ったな」
 唐突な出だしだったが、近迫は素直に頷いた。剛氏にとって鵬翼に乗った旅など何度もあるものではない。もう何十年も前、それこそ頑丘を狩って王宮へ連れていった供王珠晶の昇山の旅のときの話だ。
 あのとき、蓬山の麒麟が山を下りた。王気を感じると言って。女仙を引き連れた麒麟は王を見つけた。近迫は、己の目で、麒麟が己の王と見定めた少女に膝を折るところを見たのだ。
「ああ。当たっていただろう」
 頑丘はそれには答えず、にやりと笑っただけだった。しかし、続けられた言葉は。

「俺とあの娘は、あのとき、真君に助けられた」

 聞いて近迫は耳を疑った。真君とは、黄海の守護神であるあの犬狼真君、か。
「――まさか」
「そう言われるのが分かっているから、今まで誰にも言ったことがない」
 頑丘は顔を歪めて笑う。近迫は深い溜息をついた。思い起こせば、確かにあの娘は尋常ではなかった。朱氏を剛氏として雇い、その朱氏と袂を別った後も人々を引き連れて旅を続け、生き延びた鵬雛だ。

「――その話、ゆっくり聞きたいな」

 近迫が身を乗り出すと、頑丘は低く笑って頷いた。それから、朱氏は黄海の守護者との驚くべき邂逅を、訥々と語り出したのだった。

2016.05.28.
 ツイッター上で開催されている「#十二国記絵描き文字書き60分一本勝負」 第16回「昔話」というお題で書いてみました。今回もリアル参加でございます。

 執筆50分、只今あせあせと推敲してアップしております。ちょっと遅刻でございますね。

 昨日お題を見た段階では末声になるかな〜と思っておりましたが、 今朝になって、真君に会ったことを語り出す頑丘という図が降りてまいりました。 いつか古老となった近迫に語り継いでいただきたいお話でございます。 捏造満載のお話ではございますが、お楽しみいただけると嬉しく思います。

2016.05.28.  速世未生 記
(御題其の二百二十四)
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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