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御題其の二百三十

夏の午後

「――暑い」

 景王陽子は不機嫌に呟く。夏が暑いのは当たり前、しかも雲海の上は下界よりも凌ぎやすい。そんなことは分かっている。しかし、暑いものは暑いのだ。
 着用している官服は夏用の薄手のものだが、色は相変わらずの黒、暑苦しいことこの上ない。陽子は恨めし気に己の衣を見つめた。
 こんなときは、蓬莱で来ていた開放的な洋服が恋しくなる。夏ならば、やはり定番の白いワンピースだろうか。いや、Tシャツに半ズボンなどもかなり涼しいだろう。そんなものは蓬莱にいたときでさえ着たことはないのだが。
「――そうだ」
 今は誰もいないし、誰かが来ても書卓に隠れて足許は見えない。陽子はそっと裾をまくってみた。昔の制服のように、膝丈にしてみると、案外涼しい。そういえば、女子高の気安さで、みんな机の下でスカートの中を下敷きかなんかで扇いでいたっけ。陽子はくすりと笑い声を立てた。そのとき。

「何がそんなに可笑しいの?」

 いきなり声をかけられて、陽子はびくりと肩を揺らす。見ると、そこには冷茶をお盆に載せた鈴が立っていた。陽子はほっと安堵する。現れた者が景麒や祥瓊ならば大変な騒ぎになるだろう。
「ちょっとね、昔のことを思い出していたんだ」
「昔のことって?」
 お盆を小卓の上に置き、鈴は小首を傾げた。陽子は笑みを湛えて続ける。

「蓬莱で女子高生してたときのこと」

 あら、と鈴は笑みを見せ、話の続きをねだる。陽子は鈴を隣に呼び寄せ、実演してみせた。
「蓬莱ではこんなふうに膝丈の制服を着ていてね、女の子しかいないから、こうやって卓の下で扇ぐんだよ」
 陽子は膝までたくし上げた官服の裾を手巾で扇いでみせる。鈴は声を潜めて笑った。そして、悪戯っぽい貌をして小声で囁く。

「とても涼しそうだけど、祥瓊に見つからないようにね」

 もちろん、と陽子が答えようとした正にそのときだ。

「私のことをお探しでしょうか、主上」

 凛とした、しかも氷のように冷たい声が国主の執務室に響く。陽子も鈴も首を縮めた。陽子は恐る恐る顔を上げる。そこには涼しげな茶菓子を載せたお盆を持った祥瓊が傲然と立っていた。
「――祥瓊」
 陽子は感嘆の溜息をつく。夏だというのに端然と襦裙を着こなす美しい女史。とても真似できない。陽子は小さく肩を竦める。見ると鈴も同じように称賛の眼差しで祥瓊を見つめ、小さく溜息をついていた。二人は顔を見合わせてくすりと笑う。

「何が可笑しいのよ」

 不機嫌な貌をした祥瓊がいつもの調子でそう訪ねる。陽子は朗らかな笑みを祥瓊に向けた。

「――祥瓊のお蔭で涼しくなったから。ありがとう」
「意味が分からないんですけど」

 分からなくてもいいよ、と胸で呟きながら、陽子はそっと裾を下ろす。そうして祥瓊をも招き寄せ、ひとときの休憩を冷茶とお菓子とお喋りで楽しんだのだった。

2016.08.06.
 いつも本宅及びブログに拍手をありがとうございます。 祭開催予定地にまで拍手をくださった方、ありがとうございました〜。

 ツイッター上で開催されている「#十二国記絵描き文字書き60分一本勝負」 第21回「夏の装い」というお題で書いてみました。今回もリアル参加でございます。

 執筆45分、只今あせあせと推敲してアップしております。 多少遅刻でございましょうか(苦笑)。

 楽しく一気に書かせていただきました。 蓬莱に想いを馳せつつも辛くならない陽子、鷹揚に受け止める鈴、 そして書卓の下を見たならば怒り狂ったであろう祥瓊……(笑)。 見つからなくてよかったね、陽子主上。君の笑顔は女殺しだよ……!

 皆さまにもお楽しみいただけたると嬉しゅうございます。

2016.08.06.  速世未生 記
(御題其の二百三十)
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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