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御題其の二百三十三

螺鈿の箱

 それは美しい箱だった。黒塗りに大きな花の意匠、その模様は光が当たると七色に変化する。女官から即位の際に贈られたものを解説してもらっていた景王陽子は、ふと手を止めてその箱に見入った。気づいた女官が手を伸ばし、箱の蓋を開ける。が、中には何も入ってはいなかった。手違いのようですね、とひとこと呟き、女官は箱を下げようとする。陽子はつい、その袖を引いてしまった。
「空箱ですが」
「――とても綺麗だから」
 怪訝な貌を見せる女官に、陽子は慌てて言い訳をする。空箱ですのに、と再度呟きながらも女官はその箱を横に除けて次の贈り物を陽子の前に広げた。

 隣に景麒がいたならば、恐らく女官を叱責しただろう。主上に対し無礼であろう、と。しかし、いま唯一の味方である麒麟は側にいない。王と言えど、まだまだ物を知らぬ身。教えてもらう立場上、陽子は女官の不遜な態度にも委縮するばかりだった。

 私はただの女子高生なのに。

 玉座に就いて尚そんな思いが抜け切らない。陽子は小さな溜息を漏らした。それを聞き咎めた女官が、大きく嘆息する。陽子は姿勢を正し、女官の解説を聞き続けるのだった。

 そんな昔のことを思い出したのは、その箱を堂室の片隅で見つけたからだ。どんな豪奢な贈り物よりも当時の陽子の心を惹きつけた空箱は、艶やかな螺鈿細工だった。黒塗りに大きな赤い牡丹の花の意匠、側面にも牡丹の花と葉が連ねられている。その様は、いま見ても溜息が出るほど美しい。
「綺麗な箱ね。何が入っているの?」
 執務室の書卓の上に置かれた箱を認めた祥瓊が、弾んだ声を上げた。陽子は思わず苦笑する。やはり箱より中身が気になるのか、と。
「箱だけだよ」
「え、空っぽなの?」
 笑みを浮かべて頷くと、祥瓊は呆れたように嘆息した。この手の箱は、いくら美しくても中身がなければ意味がないのだ、と。陽子が反論しようとしたそのとき。
「失礼いたします」
 書簡を手にした冢宰浩瀚がやってきて静かに頭を下げた。陽子は鷹揚に頷き、祥瓊は恭しく拱手する。
「――おや」
 浩瀚は螺鈿の箱に眼をやって唇を緩めた。陽子は浩瀚を見上げ、ぶっきらぼうに訊ねる。
「お前も中身が気になるか?」
「いえ」
 美しい箱ですね、と続け、浩瀚は微笑する。この男はほんとうに如才ない。故に真意を計り兼ねることも多いのだが。陽子はおもむろに箱の蓋を開けた。
「即位した頃の贈り物のひとつだ。中身が入っていなかったから、手違いだと言われたけれど」
 陽子は蓋を持ち上げ、角度を変えてみせる。赤い牡丹の花びらが、艶やかに色を変えた。
「とても綺麗で、目が離せなかった」
 陽子はそう言って笑む。祥瓊は少し肩を竦めながらも同意した。浩瀚は涼しげに微笑している。陽子は口を継いだ。

「――中身はこれから入れていけばいい。そう思ったんだ」

 私と一緒だろう、と続けると、祥瓊が小さく吹き出した。正直な友を咎める気は起こらない。あの頃は螺鈿も牡丹もよく知らなかったのだ。今も知らないことだらけだが、知ろうと努力はしている。少しずつ前に進めばよい。周囲の者が見守ってくれているのだから。

「そのお言葉、送り主がさぞ喜ぶことでございましょう」

 浩瀚は笑みを深め、恭しく拱手してみせる。陽子は大きく眼を瞠った。首を傾げて促しても、浩瀚がそれ以上語ることはない。それでは、と浩瀚は踵を返した。陽子はその後ろ姿を呆然と見つめるのみ。やがて、祥瓊が笑みを浮かべて何度も頷いた。

「――意図的に空箱が贈られた、ということなのでしょうね」
「――そうなのか?」
「どうやら陽子は及第点をもらえたようよ」

 そう言って祥瓊は含み笑いをする。相も変わらずわけが分からない陽子は、ただ首を傾げるのみであった。

2016.09.19.
 9/20より絶賛開催中の葵さん宅「箱祭り」にて先陣を切った作品を こちらでもアップさせていただきました。 当時「黄昏祭」開催中の管理人、黄昏に詰まって他所さまのお祭りに走りました〜。 もう、どんだけ祭好き(苦笑)。しかもこれ、ほぼワンライだったりいたします……。
 そんでもってさすがお祭り、ふたケタ拍手をいただきました。 自宅じゃ滅多にないことですので感激いたしました!

 さて「箱祭り」、今月31日まで開催でございます。 私も2作目の投稿を目論んでおります。上手く纏まりますように。 皆さまも是非素敵なお祭りを覗いてみてくださいませ!
 葵さん宅「時雨庵」は 祭リンク集よりお入りくださいませ。

 24日の最低気温は4.0℃、最高気温は9.0℃。 20日に初雪が降って以来寒い日が続いております。 というわけで、拙宅は冬仕様でございます(笑)。長い長い冬が始まりました。 でも、実は私、冬が一番好きなのでございます。

2016.10.25.  速世未生 記
(御題其の二百三十三)
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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