「目次」 「玄関」 

御題其の二百三十六

伴侶の背

 久々に訪れた隣国の宮は張りつめた緊張感に包まれていた。何事かと思えば慶主の執務室は空っぽ、きちんと整えられた書卓を見て延王尚隆は苦笑した。
「延王!」
 国主の伴侶の来訪を知って執務室に駆け込んできた女王の友たちは、血相を変えている。事の次第を訊ねると、女史と女御は深い溜息をつきつつ答えた。思いつめた顔つきで書卓に向かっていた景王陽子は、仕事を終えて間もなく姿を消したのだ、と。
「――宮の外には出ていないようなのですが」
「台輔からはそれだけ漸く聞き出しましたが……」
 行方が分かりません、と結び、二人の側近は肩を落とした。宮の主が姿を隠すとき、唯一その居所が分かる宰輔には頼らない、との不文律が金波宮にはある。しかし、今回はもう日が暮れようとしている刻限にも拘らずまだ見つからないが故に宰輔を頼ったのだ。説明を終えた女王の友たちは深い溜息をついた。
「俺も心当たりを捜してみよう」
 尚隆が請け負うと、女史と女御は、よろしくお願いします、と深く頭を下げた。

 宮の主が姿を消すこと自体、そう珍しいことではない。臣下に心配をかけるほど戻ってこないことが珍しいのだ。しかも、此度は気晴らしの微行ではなく、宮の中にいるという。ならば、きっと独りで考えたいことがあるのだろう。そんなとき、景王陽子が出向く場所には心当たりがあった。

 岸壁に穿たれた隧道の入口に陣取る大きな影。尚隆が近づくと、慶主の傍を離れぬ護衛の使令がゆったりと首を擡げた。
「――やはりここか」
「主上は、誰も通すな、と仰いました」
「――だろうな。まあ、俺は勝手に通る」
 王に忠実だが洒落っ気のある使令は、それ以上言葉を重ねることなく苦笑を零す。その横を、尚隆は片手を挙げて擦り抜けた。

 短い隧道を出ると、膝を抱えて海に見入る慶主がいた。尚隆は唇を緩め、足を止める。
「誰も通すなと言ったのに」
 気配に聡い女王は振り向きもせずに言い放つ。尚隆は大きく笑って応えを返した。
「班渠はそう言ったがな。勝手に通った」
「――尚隆(なおたか)
 慶主はやはり振り返らなかった。尚隆はそのまま膝に顔を埋めてしまった伴侶の背を見つめる。きっと涙を見せたくないのだろう。尚隆は少し距離を置いた場所に己も腰を降ろした。

 宮の喧騒も届かない忘れられた場所、聞こえるものは打ち寄せる波の音ばかり。忙しない日々を送る身としては、心洗われる思いがする。尚隆は唇を緩め、眼を閉じて波の音に聴き入った。やがて。
 空気が微かに動いた。衣擦れの音が近づく。伴侶はそっと尚隆の側に腰をおろし、背中に細い背を凭せ掛けた。尚隆はくすりと笑う。必要なのは腕ではなく、背だったか、と思うと可笑しかった。
 抱きしめて慰めたいと思う。しかし、誇り高き女王はそんなことを望んではいない。ただ背の温もりだけを求めているのならば、尊重しよう。尚隆は動かずにいた。伴侶は深い溜息をつき、そのまま動きを止める。それとともに、纏っていた緊張も解れていった。

 背に温もりを感じながら、海に沈みゆく陽を眺めた。紅い光は伴侶の髪のようで、思わず溜息をつく。綺麗だ、と呟くと、伴侶は身じろいだ。
「――なに?」
「夕陽が綺麗だぞ」
 だから隣に来い、と促したつもりだった。が、伴侶はそのまま反転し、尚隆の背に負ぶさった。そこまで顔を見せたくないのか、と思うと笑いが込み上げる。伴侶は肩を揺らす尚隆には頓着せず、綺麗、と呟いた。

 夕陽は緩やかに沈んでいく。その最後の光を見届けて、尚隆は背に張りついた伴侶ごとゆっくりと立ち上がった。
「――わあ!」
「そろそろ気が済んだだろう?」
 驚く伴侶に声をかけると、うん、と微かな声がした。華奢な身体を背負ったまま歩き出すと、じきに寝息が聞こえ始めた。やれやれ、と溜息をつく。隧道の入口で待っていた班渠は、楽しげに笑って姿を消した。

2017.03.09.
 久々の更新でございます。さすがに2ヶ月以上空けたのは初めてかもしれません(苦笑)。 久しぶりすぎてオチが着いていないような気がいたしますが、リハビリ小品ということで、 どうぞご寛恕くださいませ。 単に背中合わせの二人を描きたかったのでございます……。

 この2ヶ月、自分のためだけのお話を書いておりました。 書くことの楽しさを思い出したかな、という感じがいたします。 まあ、読者は自分だけですので、必然的に完成率が下がり、 文章もプロット並みに粗くて笑ってしまうのですが……。

 取り敢えず、気が済んだので、 これからまた表に出せるものを書いていければよいなと思っております。 祭の第1弾も仕上げねば! エールをいただけると嬉しゅうございます。

2017.03.09.  速世未生 記
(御題其の二百三十六)
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
「目次」 「玄関」