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御題其の二百四十二

払暁の光

 執務室に午後の陽が射しこむ。書簡の山はかなり低くなった。そろそろ休憩してもよいだろう。景王陽子はそう思って筆を置いた。そんな絶妙な頃合いで現れた女御が、てきぱきと茶の支度をする。陽に照らされて、その黒髪が艶やかに輝いていた。

「いいなぁ……」

「え?」
 思わず漏れた呟きに、鈴が顔を上げる。陽子は気まずげに眼を逸らした。陽子、と鈴が名を呼ぶ。ちらりと見やると、友は腕を組んで眉根を寄せていた。陽子は小さく嘆息して鈴の髪に眼を戻す。

「――髪が、綺麗だと思って」
「あら、陽子の方が綺麗じゃない」

 鈴は屈託なく笑う。陽子は己の髪を見つめて苦笑した。確かに、毎日丁寧に梳られている女王の髪は美しいといってもいいだろう。けれど、赤子という不本意な字の元となった紅色の髪は、既に慣れたとはいえ、ときどき劣等感を刺激するのだ。

「ううん、烏の濡羽色。綺麗な色だよね」
「――? 蓬莱にいたときは、陽子の髪も黒かったのよね?」

 鈴は不思議そうに小首を傾げる。陽子は大きな溜息をついた。あちらですら、髪の色は悩みの種だったことを思い出したのだ。くるくると指に巻きつけた鮮やかな紅い髪。

「こちらのこの姿のせいなのか……あちらでも私の髪は赤かった。ほんとうに地毛なのか、と疑われるくらいに」

 母にさえ黒く染めてこいと言われてしまうほどにね、と続けて顔を俯ける。陽に透けると余計に赤く見えてしまう髪を慮って、毎日きっちり編んでいた。

「だからね、綺麗な黒髪は憧れなんだ」

 そう告げて友の艶やかな髪に手を伸ばす。鈴は困ったように首を傾げていた。

「――失礼します」
 ぎこちない沈黙を破る涼やかな声がした。現れた人物に、鈴はほっとした声を上げる。
「浩瀚さま」
「ご休憩中にお邪魔してしまいましたか」
「いや、大丈夫だ」
 新たな書簡を抱えた冢宰浩瀚に、景王陽子は笑みを向ける。鈴と陽子を見比べた浩瀚は、笑みを湛えて口を開いた。

「――払暁の光、ですね」

 冢宰の唐突な言葉に、思わず陽子は鈴と視線を交わす。浩瀚は笑いを含んだ声で続けた。

「主上の御髪のことです」
「――私の、髪?」

 はい、と答えて浩瀚は首肯する。陽子はわけが分からずに首を傾げたが、鈴は得心がいったように手を打った。浩瀚はくすりと笑って続ける。

「御名のとおり、陽の光。特に、暁の太陽のようですよ」

 聞いて陽子は大きく眼を瞠った。指に巻きつけたままの紅髪に視線を落とす。鮮やかな紅色は初めて見たときには血の色に思えた。徐々に慣れていったとはいえ、今でも好きとは言えない。

「慶の夜を終わらせた、払暁の光です」

 駄目押しのように添えられた言葉。陽子は肩を震わせた。

「お前はときどき途轍もなく気障だな」

 苦笑とともに応えを返し、陽子は冷めた茶を飲み干した。劣等感を刺激する髪の色をそんなふうに評してくれた人がいる。その事実は陽子の心を温めた。

「お誉めに与り恐悦至極」
「誉めてないんだけど」

 澄まして拱手を返す冢宰に苦笑を送りつつ、陽子は手ずから茶を振る舞った。

2017.10.30.
 先日閉幕された葵さん宅「時雨庵」の「色祭り」参加作品でございます。 あちらでご覧になられた方も多いかと思いますが、拙宅にも上げさせていただきました。

 御題は「紅色」、我らが陽子主上の御髪の色でございますね。 ほんとうは別のシリアスを書いておりましたが、 目の前が真っ赤になって進まなくなりまして……(苦笑)。 急遽安直に陽子主上の髪の色で仕上げました。お祭りに間に合ってようございました。 貴重な十二国二次界隈のお祭り企画でございますもの、 参戦を逃すのはあまりにも惜しゅうございます故。

 葵さん、お祭りの開催及び運営、お疲れさまでございました。 今年も開いていただけて大変嬉しゅうございました!  浩陽派の方々が集う場所に冢宰閣下をお連れするのはかなり緊張いたしました。 それでも楽しく書かせていただきましたので、 お受け取りいただけたこと、感謝申し上げます。

2017.11.09.  速世未生 記
(御題其の二百四十二)
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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