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御題其の二百四十三
昔歳の話
肩の震えを止められない。堪えようとすればするほど身体が小刻みに揺れてしまう。陽子は俯いて笑いを噛み殺した。伴侶が訝しげに問いかける。
「――どうかしたか?」
ああ、とうとう話の腰を折ってしまった。申し訳なく思いつつも、身体の揺れを止めることができない。陽子の肩を抱く大きな手に力が籠められた。陽子は堪えきれずに吹き出す。伴侶は問いを重ねてきた。
「そんなに可笑しいか?」
陽子は声も出せずにこくこくと頷く。それを見た伴侶は、大真面目に呟いた。
「この上ない賢策と思うがな」
「うん、否定はしない。でも……」
陽子は笑いを堪えつつ応えを返す。そう、真面目な話を聞いていたのだ。行方不明となった宰輔は予想に違わず元州にいた。元州がその所在とともに明らかにした要求は、国主の隠居と元州令尹の上帝即位。呑めるはずがない。
宰輔を盾に籠城の構えを見せる元州は、王師を動かしてがら空きになる首都を他州に攻撃させる腹積もりだ。対抗手段として延王尚隆が提示した術は、元州謀反の報を流し、近隣より兵卒を募り関弓を守らせること。
そこまでは、伴侶の話を聞いていた陽子も真面目に頷いていた。しかし、だ。
漸く緑が戻り始めた地を血で染める戦を起こすことに民が納得するはずはない。嫌々集う兵など、些末なことですぐに寝返る。ならば、自発的に集まるように仕向ければよい。御年十三歳の宰輔が攫われ、捕えられていると吹聴して同情を買う。ついでに王がどれほど賢帝で、どれほど逸材であるかばら撒け。
そう命じたと聞かされて、笑わない者がいるだろうか。未だ笑いを止められない陽子を、伴侶は真面目な貌で見守っていた。
「――確かに、漸く立った新王が愚王だなんて、民は思いたくないよね」
やっと笑いが収まり、陽子は自嘲気味に返す。自らの登極直後を思い出したのだ。王のいない朝に慣れた諸官はお飾りな王を求め、水面下で暗躍していた。市井の民に重税を課し、己の懐を温めていた。陽子は、城下に降りて初めてそれを知ったのだった。
伴侶はくすりと笑い、陽子の肩を軽く叩く。登極当時から新米王を見守ってくれていた先達は、陽子の考えなどお見通しなのだろう。
「まるで詐欺だ、と呆れられたがな、民はそうは思わないだろう」
民の願いを肌で知る陽子は、微笑んで頷くのだった。
2017.11.22.
長編「滄海」余話、「昔歳の話」をお送りいたしました。 全然甘くないのですが、「滄海」は新婚旅行のお話なのですよ……(苦笑)。
多少遅刻いたしましたが、いい夫婦の日、ということで尚陽を書いてみました。 お楽しみいただけると幸いでございます。
2017.11.23. 速世未生 記
(御題其の二百四十三)
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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