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御題其の二百四十六
景麒の日
その日は朝から宮中によい匂いが漂っていた。国主景王が女史と女御を率いて厨房に籠り、何やら作製中なのだ。宰輔景麒は事の起こりを思い返し、微かに唇を緩めた。
「景麒、一月六日、私は厨房に籠る。邪魔立てするなよ」
国主景王が執務室に乗りこんでそう宣言した時、景麒は黙して恭しく拱手を返しただけだった。決意を漲らせていた主はぽかんと口を開けて絶句し、景麒は静かに主の次の言葉を待つ。やがて、主は当惑したように問うた。
「――いいのか?」
「それが主命であれば」
景麒は即答した。麒麟は王の僕だ。王の命には絶対服従する。景麒が主に諫言するのは、主が景麒に許可を求めるからだ。命じられたことに反する気はない。但し、訊かれたからには諫言すべきであろう。
「――政務に差し障らぬようになさってくださいね」
「分かってる。ちゃんと仕事は片づけるから。ありがとう、景麒」
景麒の苦言に主は弾んだ声でそう答えて踵を返した。鮮やかな笑顔と翻る紅髪の残像が、いつまでも景麒の胸を温めたのだった。
主からお呼びがかかったのは、午後遅くなってからだった。今回の茶会の会場は玻璃宮、主とその側近が、満面の笑みで景麒を迎える。いつもの顔がずらりと並ぶ卓子の中央に、黄金色の丸い菓子が置かれていた。景麒は首を傾げる。
「主上、これは?」
「がれっと・で・ろあ。蓬莱の異国のお菓子だよ。これもけーきの一種だ」
まあ、けーきというよりぱいなんだけどね、と言って主は笑みを見せる。茶を注ぎながら、女御鈴が楽しげに補足した。隣国の宰輔延麒の蓬莱土産に菓子作りの本があり、それを参考に主と女史と女御の三人で作ったのだという。
蓬莱の異国ではこの日祭があり、祝菓子として「がれっと・で・ろあ」がある。木の葉に似た模様が刻まれた黄金色の丸い菓子には仕込があり、見事あたった者がその日の王となるのだ。そう説明し、この国の王である主は満面の笑みを見せた。
「慶の王は主上だけです」
景麒は顔を蹙めて苦言を呈した。景王陽子のみが景麒の主。他の者を王と呼ぶことなどできない。しかし、主は指を一本立てて振って見せた。
「ただの座興だ。そんなに目くじらを立てるな」
慶主の言葉に王の臣下たちは笑いさざめいた。それから切り分けられた菓子を神妙に食べ始める。期待に満ちた静寂がその場を包み、誰もが周囲を気にしつつ菓子を口に運ぶ。そんな折、景麒は切り分けた菓子に硬いものを見つけて首を傾げた。
「何かあったか?」
翠玉の瞳を煌めかせた主が即座に問う。景麒は軽く頷いた。
「何か硬いものが……」
景麒が言い終らぬうちに拍手が沸き起こった。主が促すままに、景麒は菓子からそれを取り出す。巴旦杏の実だ。あーもんどだ、と眼を細めた主は高らかに宣言した。
「今日の王さまは景麒に決定!」
眼を白黒させた景麒が口を挟む暇もなく紙製の王冠が主によって頭に載せられる。満面に笑みを湛えた主が景麒に訊ねた。
「さあて、王さま、お望みは何ですか。あなたの僕が叶えましょう」
主の戯言に、景麒は深い溜息をつく。しかし、この場の期待に満ちた空気を破るわけにもいかないだろう。そう思えるくらいには、主の僕を長く務めているのだから。
「――お茶を一杯淹れていただけますか」
「お安い御用でございます」
にっこりと笑う主は優雅な所作で茶を淹れる。それを受けて飲むだけで割れんばかりの拍手が場に満ちた。ほんの座興とされた大任を無事終えて、景麒は肩の力を抜く。そして、楽しげな主を眺めながら手ずから振る舞われた主の茶を堪能したのだった。
2018.01.06.
1/6はケーキの日だから景麒の日、ということで、 昨年仕上げられなかったガレット・デ・ロアの小品を書き上げてみました。 毎年食べているのですが、今年は初売りでお菓子を買い過ぎて、 甘いものを見たくないという……(苦笑)。 それでもガレット・デ・ロアが恋しくなって書き綴りました。
。
常の如く遅刻ではございますが、お楽しみいただければ嬉しく思います。
2018.01.07. 速世未生 記
(御題其の二百四十六)
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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