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#4月6日は尚隆の日
御題其の二百五十
一陣の風
窓を開けると潮の匂いがした。小さな頃から慣れ親しんでいるその香りに頬を緩め、延王尚隆は露台に足を踏み出す。欄干に凭れて見下ろす海は仄かな青、透明な水の下には関弓の街並みが見えた。
故郷の瀬戸内とは何もかもが違う、空の上にある海。違和感を禁じ得なかった透けて見える下界の街にも、いつしか慣れていた。今頃そんなことを思い出したのには理由がある。
「――何にやけてんだよ」
聞き慣れた声が面白げに訊ねる。いつもなら捨て置くそんな問いに答える気になったのは、胸に浮かぶ思いに共感するだろう相手だったからだ。
「久々に新鮮な思いをさせてもらったからな」
眉根を寄せて首を傾げる半身に、尚隆は笑みを向けて続けた。
「どうして水が落ちないんだろう、とかな」
「陽子か」
ああ、と納得した延麒六太は顔をほころばせる。それから再び首を傾げて問うた。
「ほんとにそんなこと訊いたのか?」
「落ちそうなほど眼を見開いて驚いていたぞ」
ははは、と笑って六太は欄干に飛び乗る。
「確かに陽子の反応は新鮮だったなー」
昔のお前のようだった、と六太は笑いを深めた。同じ胎果といえども幼い頃に戻ってきた六太には分からない感覚なのだろう。
「そうだろうな」
応えを返した尚隆は再び雲海に目を落とす。この不思議な世界を「不思議」と口に出せる存在は久々だ。不意に現れた胎果の新王は、退屈な日常が驚きに満ちていた時代を思い出させてくれた一陣の風。
「面白くなりそうだ」
尚隆の呟きを聞いた半身は、楽しげに笑って頷いた。
2018.04.06.
「4月6日は尚隆の日」ということで、尚隆を書いてみました。
いつもは桜祭中で余裕がないのですが、今回は色々なことに詰まり、 旅で見下ろした瀬戸内の海を思い出して書き流した小品でございます。 ほんの短い作品ではございますが、お楽しみいただけると嬉しゅうございます。
2018.04.06. 速世未生 記
(御題其の二百五十)
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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