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#6月5日は利広の日
御題其の二百五十一
邂逅の始
旅に出るのはいつものことだった。小言を浴びせる家族は、それでも本気で止めたりはしない。帰山してから披露する情報が皆にとっても必要なものだからだろう。
利広は今日も軋みかけた国の首都にいた。よくない噂が他国まで流れる頃にはもう明暗が決している。それを肌で確かめるための訪問だ。退廃的な街で享楽的に過ごす民人を見やり、利広は重い溜息をついた。
初めは見聞を広げるための旅だった。父の許に宗麟が訪れて奏を任され、手探りで荒れた国の立て直しに励んだ。しかし、舎館を営んでいた櫨家の手に余ることも多々あった。そんなとき、他国の政策を探るという名目で家を出る利広を、父王は温かく見送ってくれたのだ。
施政者としての視点で見る諸国はそれまでとは違って見えた。政策から王の為人を推し量るようになったのも太子の立場でその国を見るようになってからだ。諸国を巡る旅は新しい発見に眼を瞠ることばかり、富んだ国の首都はその国の縮図のようだった。しかし。
国が安定してからは旅の質が変わっていった。王が斃れれば地が荒れる。そうなれば妖魔や災害を避けるために、高岫を超えて荒民が押し寄せるのだ。国が落ち着き国益が増すほどに荒民対策に頭を痛めるようになった。それから、利広は荒れ始めた国を周るようになったのだ。
「
騶虞
(
すうぐ
)
か。好い騎獣を持っているな」
不意に声をかけられて、利広はゆっくりと振り返る。厩と厩番がしっかりしている舎館を選んで落ち着いたところだった。背の高い男が好奇心に眼を煌めかせて利広を見下ろしている。
「これは借り物だよ。そう簡単に手に入るものじゃない」
そう答えて笑みを向けると、男は多少怪訝そうな貌をする。己の身なりが稀な騎獣に相応しいものだということを知っている利広は気負わず男に返した。
「騶虞が分かるんだね」
「俺の騎獣もそうだからな」
「へえ」
利広は素直に驚いた。簡素な袍を纏った男が稀な騎獣を所有しているという。話してみる価値はあるだろう。それから利広は男と酒を酌み交わした。敢えてこの国の名産と言われるものを次々と頼んで勧めてみれば、男は鷹揚に喜ぶ。話すほどに己と同様に広い知識を持つ男に好奇心を募らせた。が、人には明かせぬ素性を持つが故に、突っ込んだ問いかけをすることもない。そのうちに夜は更けていった。
「――よい旅を」
酒場を出ていく男に笑みを送る。男は片手を挙げて破顔した。もう会うことはないだろう。一期一会の邂逅だからこその楽しみだ。そう思い、利広も酒場を出てよい気分で床に就いたのだった。
意地の悪い笑みを浮かべる男を見つめつつ、利広は最初の邂逅を思い出す。深い溜息をつき、肩を竦めてみせれば、風漢は楽しげに笑い出し、空になった酒杯を差し出した。
「無事に思い出せたようだな」
「無事に、なのかな」
苦笑を浮かべて差し出された杯に酒を満たす。酒瓶を置くと、風漢が利広の酒杯に酒を注ぎ足した。銘酒は国が軋んでもなお美味い。この酒がいつまで飲めるのか。そんな感傷を互いに口にすることもない。この重みを知る者と差しつ差されつ過ぎていく夜。
明日には右と左に別れてしまうこの男との邂逅が、ひとときの安らぎとなっていることを本人に告げることはないだろう。
そう思い、利広は薄く笑んだ。
2018.06.09.
6月5日は利広の日、 ということで大変遅刻いたしましたが帰山コンビのお話を書いてみました。 お二方の最初の邂逅利広視点でございます。 因みに「帰山で十題」其の九「放浪」にて尚隆視点を書いております。 また、昨年書いた御題其の百三十八「酒席の肴」補足版になるでしょうか。 どちらも読まなくても解ると思います。
旅後の暑さに体調を崩し、遅くなってしまいましたが、 お楽しみいただけると嬉しゅうございます。
2018.06.09. 速世未生 記
(御題其の二百五十一)
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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