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#6月12日は六太の日

御題其の二百五十三

緋色の光

 望んだものは、緑の山野。

 任せておけ、と軽く応じた半身は、見事に六太の願いを叶えてみせた。無論すぐにそうなったわけではない。最初は水溜りのように小さかった緑の畑が、ゆっくりと、年を越すごとに広がって、池になり海になったのだ。秋になると金色に染まる小麦の海に、六太は眼を細めた。しかし。

 稀代の名君と称される延王尚隆の登極より五百余年が経ち、隅々まで整えられた国土を見下ろして尚、延麒六太は溜息をつく。高岫に近い街で見かける、疲れ果てて座りこむ荒民の群れ。

 国が落ち着き、豊かになれば問題はなくなる。苦しむ民はいなくなるのだ。

 六太は漠然とそう思っていた。けれど、豊かになればなるほど近隣の荒れた国から逃げ出す民人が押し寄せる。彼らを憐れんでも六太にできることは少ない。他国の民に施しのみを与えるわけにはいかないのだから。さしもの尚隆も頭を痛める問題だった。それなのに。

 王が斃れた後に残された民が救われる仕組みを作りたい。

 登極したばかりの景王がそう述べた。独立不羈を尊び、他国に干渉しないこの世界の慣例を破る発言をした歳若き胎果の王。聞いた誰もがその言葉に虚を衝かれた。

 王のいない国からやってきた景王陽子は突拍子もないことを生真面目に訴える。

 誰もやったことがないのならば、やれないものか試してみたい。

 そう言って真っ直ぐ見つめる瞳に老獪な尚隆さえ最後には折れた。覿面の罪も知らなかった若き鵬雛に、六太は感嘆の意を隠せなかった。

 自分たちは永く生きすぎたのかもしれない。

 そう思うと笑みが漏れる。いつの間にか慣例に雁字搦めになっていた。気づかせてくれたのは新しき風。この眩しい緋色の光がこれからの世を作っていくのだろう。

 いつか、きっと荒民がなくなる日が来る。

 六太はそんな希望に胸を弾ませるのだった。

2018.07.01.
 いつも拍手をありがとうございます。

 「#6月12日は六太の日」ということで、六太のお話を書こうと思っておりました。 当日はツイッターに旧作「再生」を出して満足してしまいまして(苦笑)。 主催の黒井さんからは「6月は六太月」ということで6月中であれば、 との優しいお言葉をいただいていたというのに、もう7月でございますね……(遠い目/苦笑)。

 こんなに短文なのに原作を何冊も積んで確認しつつ仕上げました。 なかなか纏められずにヒスを起こした私にエールを送ってくださった方々、 ありがとうございました! 

 本当はもう少し書き込みたかったのですが、 六太はこれ以上語りたくはないそうでございます……。

 拙い作品をご覧くださり、ありがとうございました〜。

2018.07.01.  速世未生 記
(御題其の二百五十三)
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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