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御題其の二百五十六

延王の卮

「それはなに?」

 夜半に訪れた伴侶が手に持つ物を見て、陽子は首を傾げた。美しい翡翠の盃だ。常ならば伴侶は酒瓶を持ちこみ、盃は用意されたものを使う。それなのに、今宵は酒瓶を持っていないのだ。対する伴侶の応えは端的だった。

「盃だ」

「それは分かってるってば」
 意地悪な笑みを浮かべる伴侶に陽子は唇を尖らせる。伴侶は陽子の右に腰を降ろし、ゆったりと盃の由来を語り始めた。

 幽玉卮。それは雁の宝重だ。注いだ酒は一晩の間無くなることがなく、酔うと故人の幻が見えるという卮。しかし、伴侶はこの盃でいくら飲んでも酔えないというのだ。

「――酔わない、じゃなくて、酔えない、の?」
「そうだ」

 前を向いたまま、伴侶は簡潔に答える。陽子は苦笑して己の愛剣に手をかけた。

「――これと……同じようなものかな」

 慶の宝重、水禺刀。主にのみ幻を見せつける剣は、少しだけ覗かせた刀身に淡く光を灯す。未だ自在に操ることができない剣に自嘲の笑みを漏らし、陽子は刀身を鞘に収めた。その様を眺めていた伴侶は、陽子に笑いかけて玉卮を呷る。盃を卓に置いた伴侶は笑みを引き、陽子を真っ直ぐに見つめた。

「お前が、酔わせてくれるか?」
「あなたが、それを望むなら」

 紡がれた言葉に即答すると、伴侶は肩を震わせた。そんなに可笑しいだろうか。そう思いつつも怒る気にはならなかった。伴侶はゆっくりと身体を倒し、陽子の膝に頭を載せる。驚き眼を瞠る陽子に悪戯めいた笑みを向け、伴侶は低く囁いた。

「――酔った、かもしれぬな」

 伴侶はそのまま目を閉じた。愛しい伴侶の寛いだ顔を見下ろして、陽子は唇を緩める。長い髪に手を伸ばし、一房掬い上げた。

「後で話を聞かせて」

 誰が伴侶の許を訪れるのだろう。故人がどんな話をしようとも、このひとはそれを受け入れるのだろう。例え恨み言を言われたとしても。そして、目覚めてから楽しげに語ってくれるのだろう。

 よい夢を。

 ゆったりと髪を手櫛で梳きながら、陽子は伴侶の安眠を祈るのだった。

2018.08.31.
 ちょっと早めですが、由都里さん、お誕生日おめでとうございます。 拙い小品を仕上げてみましたので、よろしければお受け取りくださいませ。 お気に召していただけると嬉しゅうございます。

 昨年連鎖妄想で書かせていただいた「延と景」の陽子視点でございます。 「延と景」ではかの方が陽子主上を伴侶と呼ばなかったのですが、 こちらでは陽子主上ががっつりと伴侶扱いしておりますね〜。 書いていて面白うございました、私が(笑)。

 微妙に甘えるかの方は私のツボでございます。お粗末でございました。

2018.08.31.  速世未生 記
(御題其の二百五十六)
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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