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御題其の二百五十七

陽光の笑

 いつもの如く隣国の宮を訪ねた。恭しく頭を垂れる門卒に騎獣を預け、延王尚隆は国主の執務室に足を運ぶ。書卓に向かう宮の主は堆く積まれた書簡に挑んでいる最中だった。
 賓客の訪れに顔も上げない慶主に軽く声をかけ、尚隆は勝手に榻にて寛ぐ。間もなく女史が現れて手早く茶を淹れ、優雅に一礼して去っていった。心尽くしの茶を飲みながら宮の主に眼を遣ると、仕事の山がかなり低くなっている。慣れたものだ、と感心しつつ、尚隆の視線をものともしない伴侶を物足りなく思う。己の我儘さに苦笑を漏らしたところで声がかかった。

「お待たせしました」
「そうでもないぞ」

 そう答えて茶杯を空にする。伴侶は笑みを浮かべ、茶を淹れ替えてくれた。尚隆は己の左に腰を落ち着けた伴侶を見つめる。動くなよ、と声をかけて膝に頭を乗せると、伴侶は苦笑を浮かべるのだった。
 膝枕は好きだ。いつもは見下ろす伴侶を見上げることができるから。手持無沙汰に尚隆の髪に手を伸ばす伴侶は穏やかに笑む。その肩から鮮やかな赤髪が零れ落ちた。

「――黒い髪のお前を、見てみたかったな」

 目の前で揺れる緋色の髪を弄びながら、尚隆はおもむろに想いを声に出す。膝に頭を乗せられた伴侶は、軽やかな笑い声を立てた。

「いきなりどうしたの」
「あちらでのお前は、黒髪だったのだろう」
「そうだけど」

 尚隆の問いに、伴侶は翠の瞳を細めて頷いた。そう、この翠玉も、あちらでは黒かった筈なのだ。じっと見つめると、伴侶は苦笑を零した。
 胎果はあちらとこちらでは姿が変わる。緋色の髪と翠玉の瞳を持つ景王陽子も、あちらの世界では黒髪黒眼だっただろう。
 尚隆は蓬莱で目にした泰麒を思い出す。幼い頃一度会ったきりではあったが、その面影はなかった。黙して尚隆を見つめていた泰麒も恐らく同じ想いだったに違いない。

「――不憫だな」
「え――?」
「海客は、我が身と名前しか持って来られないが、胎果は我が身すら持っては来られないのだからな。お前はその姿に驚いたのだろう」

 尚隆は伴侶の滑らかな頬に右手を伸ばす。翠玉の瞳を少し見開き、唇を緩めた伴侶は首肯した。それから、優しい笑みを浮かべて応えを返す。

「――でも、それはあなたも同じでしょう」
「俺は鏡など見なかったからな」

 労わりに満ちた声だった。尚隆がにやりと笑んで答えると、伴侶は軽く吹き出す。蓬莱では有り得ない緋色の髪に指を絡め、尚隆は低く告げた。

「女は不憫だな」

 伴侶は淡く笑んだ。その眼は尚隆の指が弄ぶ己の髪をじっと見つめる。しばしの沈黙は、あちらのことを回想しているからだろう。やがて。

「確かに、胎果は我が身すら持っては来られないけれど」

 伴侶は澄んだ瞳で尚隆を見下ろす。尚隆は手を止めてその翠の宝玉を見つめ返した。伴侶は尚隆の手に己の手を重ね、楽しげに笑う。

「でもね、気づいたんだ。もうひとつ持っているものがあるって」

 何を言う気だろう。まるで見当がつかなくて、尚隆は眼で問うた。

「それはね、記憶だよ」

 そう答えた伴侶は花ほころぶような笑みを見せる。尚隆は言葉を失った。伴侶は、いつも尚隆の想像の範疇を越えたことを言ってのける。この得難い稀有な女が己の伴侶なのだ。
 伴侶はそのまま己の手に眼を落とす。左の薬指に光る銀色の指輪はあちら生まれの伴侶のために尚隆が贈った物で、蓬莱では既婚の印だ。桜や七夕のように、これもまた胎果の女王を慕う者たちに受け入れられ、受け継がれていくのかもしれない。
 尚隆は唇を緩め、伴侶の小さな手を己の手で包みこんだ。そして、甘く伴侶の名を呼ばう。

「陽子」
「――尚隆(なおたか)

 (まこと)の名を呼び返されると、暖かな陽の光に包まれる心地がする。己の真名を呼ぶただひとりの女を引き寄せて、尚隆はその瑞々しい朱唇に優しく口づけた。

2018.10.26.
 「陽光の笑」をお届けいたしました。 拍手其の四百六「陽」を加筆改稿して持ってまいりました。 御題其の二百八「陽だまり」の尚隆視点でもございます。 久々の尚陽リハビリ小品になりますね〜。

 祭中は深刻なスランプ状態でございました。 あとふたつみっつ出したいネタがございましたが、全然進まず……。無念でございます。 いつか書けるとよいな……。

 さて、次はお祭りに一作献上できるよう頑張りますね!

2018.10.26.  速世未生 記
(御題其の二百五十七)
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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