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御題其の二百六十一

女王の簪

「いらっしゃいませ」

 執務室に足を踏み入れた途端かけられた声。宮の主は眩しい笑みを向けている。久々に見た美しい笑顔に見蕩れながらも、延王尚隆は違和感に首を捻った。

「どうかなさいました?」

 景王陽子は小首を傾げる。そういえば、そういう仕草をしたときに肩から流れ落ちる緋色の髪がない。尚隆は納得して頷いた。

「髪型が違うのだな」
「よく気がつかれましたね」

 伴侶は大きく眼を瞠り、それからにっこりと笑んでそう言った。尚隆は苦笑する。傍までいって見下ろすと、長い紅髪は翠玉が煌めく簪一本で纏められていた。まじまじと見つめても、どうなっているのかよく分からない。伴侶はまたも小首を傾げた。

「今度はどうなさいました?」
「巧く纏まっているな」
「そりゃあ、そういうふうにしてますから」
「これを取るとどうなるのだ?」

 好奇心に駆られて、簪を抜き取った途端。緋色の長い髪がさらりと零れ落ちた。伴侶は悲鳴を上げる。

「な、何するんです! 苦労したのに!」

 伴侶は尚隆の手から簪をひったくり、膨れっ面で髪を直し始めた。髪をひとつに纏めて捻り、その根元に簪を挿して捻った髪を巻きつけ、くるりと回して挿し入れる。豊かな長い髪はあっという間に小さく纏まった。なんとも早業だ。

「――巧いものだな」
「さっきのが一番巧くいっていたんですよ!」

 もう、と言って伴侶は尚隆を睨めつける。確かに新たに纏めた髪は少し形が歪だった。尚隆は破顔する。笑われて更に機嫌を損ねた伴侶はぷいと顔を逸らした。尚隆は身を屈め、顕な項に口づける。伴侶は小さく声を上げて肩を竦めた。

「な、何を……!」
「組紐よりも簡単でよいな」

 それには答えずに感想を述べると、伴侶は大きく眼を瞠った。意味が分からない。そんな声が聞こえてきそうなきょとんとした貌を見て、尚隆は笑いを噛み殺す。もう一度 簪に手を伸ばすと、伴侶は弾かれたように飛びすさった。

「いい加減にしてください!」

 ただでさえ暑いのに、と伴侶は怒声を上げる。尚隆は軽く笑った。

「簪は簡単でよい」

 再び翠玉の眼を瞠った伴侶は、それから見る間に頬を染めた。尚隆はにっこりと笑みを送る。景王陽子は無言で筆を持ち直し、冷茶を差し入れた女御がやってきても口を開くことはなかったのだった。

2019.06.30.
 いつも拍手をありがとうございます。

 御題其の二百六十一「女王の簪」をお送りいたしました。 こちらは以前拍手其の四百九「簪」として出したものを 多少改稿して持ってまいりました。

 この「簪」、ほぼ出来上がっていながら何故表に出さなかったのだろう?  と考えましたところ、別の御題のひとつにしようかとも思い、 他の御題をもう少し書き溜めてから出そうとして 忘れていたようでございます(笑)。

 そこそこ暑くなってまいりましたので出してしまいますね。

 最近、他所さまの尚陽に癒されておりました。 そんなわけで軽めの尚陽小品でございます。 お楽しみいただけると嬉しゅうございます。

2019.06.30.  速世未生 記
(御題其の二百六十一)
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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