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御題其の二百六十三
七夕の答
丈高くなった桜の樹を見上げる切ない横顔が忘れられない。十六で時を止めた娘は己の背を追い越すまでに育った養い子に想いを馳せていた。植えた当初、見下ろしていた若木は瞬く間に大きくなった。毎年並んで花見をしていた桜を独りで見つめていた娘。
稚かった養い子はいつしか志を抱く少年へと成長し、学を修めるために王宮を出ていった。神籍に入り玉座に就いた景王陽子は、仙籍に入って同じく時を止めた仲間と過ごしていた。その中でただ一人その身に時を刻んでいた養い子。弟のようなその存在の成長は女王に忘れていたものを思い出させたに違いない。延王尚隆は黙して伴侶の横に立った。華奢な肩をそっと抱く。掛ける言葉などないままに。
あれから幾歳が過ぎただろう。蓬莱の祭を共に祝うために隣国を訪れた。常の如く執務室に入ると、宮の主は笑みを浮かべて手許を見つめている。しかし、その顔は僅かに愁いを秘め、朱唇からは嘆息が漏れた。延王尚隆は苦笑する。今日は七夕。瑛州の少学に通うため宮を出て久しい養い子は毎年律儀に短冊を届けてくる。きっと今年もそうなのだろう。尚隆は気配を殺したまま足を進め、宮の主に笑いを含んだ声をかけた。
「今年も忘れられてなくてよかったな」
景王陽子は驚きに肩を跳ね上げた。そして、眉を寄せた蹙め顔で苦言を呈す。
「――いきなり来たかと思えばまたそんな失礼なことを」
「失礼ではないぞ。よかったと寿いでいるのだから」
尚隆は伴侶の愁いを払うように笑って軽口を返す。慶主は肩を竦めて苦笑を浮かべた。
「――あなたが下に降りるわけが分かったような気がします」
一度手許の短冊に眼を落とし、再び顔を上げた伴侶は真っ直ぐに尚隆を見つめ返す。
「ほう?」
尚隆は片眉を上げて王の顔をする伴侶を促す。景王陽子は笑みを深めて続けた。
「歳を取らない者たちと一緒にいると忘れてしまう感覚ですね」
己の愁いに沈んでいるかと思えば不意にそんなことを言う。我が伴侶はいつもこうして尚隆の想像の範疇を軽々と超えてくるのだ。この女と過ごすと退屈することがない。尚隆は破顔して率直な応えを返した。
「歳を取らないお前が必要なわけも分かるだろう?」
神籍に入った王は頸木に繋がれる。その身は不老で不死だ。自ら望んで位を降りるか、道を外して玉座を追われるか。どちらかを選ばぬ限り死することはできないのだ。対して仙籍に入った臣は望めば野に下ることができる。若き王は気づいているだろうか。
「――私?」
戸惑うように小首を傾げるその様は歳相応の少女のように可憐だ。まだ気づかなくてもよい。暁の女王に愁いは似つかわしくないのだから。
周りは須らく臣下。そう、半身たる麒麟でさえ王の命には逆らわない。お前だけが違う存在。対等なる立場の我が伴侶。尚隆は笑みを湛え、少し拗ねた愛しい女にそっと口づけを落とすのだった。
2019.08.07.
いつも拍手をありがとうございます。
本日は北の国のほとんどの地域で七夕でございます。 今年は旧暦七夕でもございます。そんなわけで七夕小品を仕上げてみました。 昨年出しました御題其の二百五十五「七夕の問」尚隆視点になります。
いつものことながらかの方の口が重くて進まない一作でございました。 口に出さない本音も語りたがらない困った御仁でございます……(苦笑)。
尚陽小品、お楽しみいただけると嬉しゅうございます。
2019.08.07. 速世未生 記
(御題其の二百六十三)
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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