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五題「夢」其の三

眠りの中の叫び

(いかないで……)

 ああ、また──。闇の中へ消えていこうとする背を追いかける、いつもの夢。もう、分かっているのに。

(私を……置いて逝かないで……!)

 止められない。迸る言葉を、抑えられない。夢の中の己は言おうとしている。言ってはいけない、聞きたくもない、後には引けなくなる、その言葉を──。

 尚隆なおたか。尚隆。尚隆……!

 禁断の言葉の代わりに唇に乗せる名前。それは、心を鎮めるための呪文。それすらも、最後には悲痛な叫びになっていた。

「──陽子」

 低い声が耳許で聞こえる。気づけば逞しい胸に縋って泣いていた。
「陽子」
 優しい声と温かな腕が強張る身と心を包む。夢の中で呪文のように唱えていた名前を、陽子は声に出してみた。
尚隆なおたか……」
 何度も呼んでいたな、と伴侶は笑って陽子を抱きしめた。陽子は大きな背に回した腕に力を籠める。口に出せぬ想いを、胸で叫びながら。

 まだ、ここにいて。

「ここにいる」

 柔らかな声が耳朶をくすぐった。まるで心を読まれたような気がして、陽子ははっと伴侶を見上げる。愛しむように見下ろす深い色を湛えた瞳が陽子を捉えた。

「俺は、ここにいる」

 温かな言葉が、胸に沁みていく。確かな存在が、陽子を現に戻していく。溢れる涙を隠すことなく、陽子は何度も頷いた。

2009.03.12.
 お正月明けに書き始めながらちっとも纏まらなかった小品を仕上げました。 桜の時季が近いから、かしらね……。
 これが拙宅の根幹をなすものでございます。折に触れて出てくると思います。 オマケなのに甘くなくてごめんなさい……。

2009.03.12.  速世未生 記
(拍手其の二百六十九)
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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