覚 醒
雫が滴る音がする。
暗く静謐な臥室の中で、それだけが規則的に響く。高く澄んだその音が、景麒を目覚めさせた。
呼ばれている――。
「──主上?」
呟いて、首を振る。麗しき景王舒覚は、既にこの世の者ではない。その潤んだ瞳、たおやかで儚き姿。病み衰え、狂気に走る主を、玉座に留めることは、とうとうできなかった。重い後悔に、胸が塞がれる。額を押さえる景麒の耳許で、また。
水音がする。
規則正しく、水滴が、水面を叩く。その音に導かれるように、景麒は牀から降り立った。
景王舒覚が禅譲により崩じ、現在、慶東国には王がいない。蓬山に戻り、失道の病から回復した景麒は、新たな王の選定を急いだ。しかし、王気を感じることは、なかった。それどころか──。
偽王が起ってしまった。先王の妹である舒栄が、景王を名乗り、州侯を味方につけていく。しかし、舒栄は新たな王ではない。王気を持たぬ者が勝手に王を名乗るほど、荒廃した国。早急に新王を見つけなければ、国の混乱は収まらないだろう。そしてまた。
水音はひと際高まり、物思いを断ち切った。景麒は耳を澄ます。そのとき、暗い室内で、何かが淡く光った。それは──。
一振りの剣であった。
白く淡い光が、景麒を引き寄せる。血を厭う麒麟をも引きつけるその剣は。
「――水禺刀?」
それは、慶国秘蔵の太刀の名であった。景麒は、白い燐光を帯びる水禺刀に見入る。宙に浮かぶそれは、確かな質感を持っていた。主を喪い、遠い慶国金波宮に眠るはずの太刀が、何故にいま蓬山にあるのか。しかも、前とは違う形になって。
水禺刀は、古の達王が妖力甚大な魔を封じて剣をなさしめ、後に鞘をもなさしめた。故に代々景王を主とし、他者には斬るどころか抜くこともできない刀だ。本来水であり、主によって形を変える。景麒の知る景王舒覚の水禺刀は長剣ではなかったのだ。もしや。
この太刀は、己の新しき主を、既に知っているのだろうか。 慶東国の麒麟である景麒でさえ、次の景王を未だ見つけられずにいるというのに。
見守る景麒の目の前で、水禺刀はゆっくりと自ら刀身を露にしていく。抜き身の刃は仄白く光り、景麒に幻を見せつけた。見たことのない風景、見たことのない建物を。そのとき、景麒は確信した。
新しき主は、蓬莱にいる。迎えに行かねばなるまい。
「──私を呼んだように、お前は、新しき主をも呼ぶのか?」
景麒の問いに応えるかのように、刀はひとつ瞬いた。そして沈黙し、光を失った。
2012.08.18.改稿(2006.07.12.初出)
「丕緒の鳥」に景麒は予王崩御後蓬山に戻ったとの記述がございました。
そんなわけで、いつかこの「覚醒」を直さなくてはいけないな〜と思っておりました。
ところでこの作品、かつて「34567打記念」としてフリー配布しておりました。
お持ち帰りになった方は少ないとは存じますが、
差し上げたものを改稿してしまいましたので、今回もフリー配布させていただきます。
こんなものでもよろしければ、どうぞお持ち帰りくださいませ。
8/31までフリー配布といたします。「24万打」、ありがとうございました。
(二次配布はしないでくださいね)
2012.08.18. 速世未生 記