春 来
空は淡く霞み、吹く風は柔らかな匂いを孕む。目覚めた花がほころびはじめ、冬枯れていた庭院に色が戻ってくる。慶東国は、春を迎えようとしていた。
春の訪れとともに、この国の麗しき女王も鮮やかさを取り戻す。案件に蹙められていた美貌も、緑が芽吹くように生気を増していた。その理由を知る冢宰浩瀚は、精力的に政務をこなす美しき主に優しく声をかけた。
「桜が咲いたそうですね」
「よく知ってるな」
「主上のご様子で分かりますよ」
「浩瀚には敵わないなあ」
照れたように笑う景王陽子は、庭院に咲く花よりも麗しい。浩瀚は微笑を返す。主は輝かしい翠玉の眼を上げ、悪戯っぽく告げる。
「今年は皆に迷惑をかけないように、頑張って仕事を片付けるよ」
「期待しておりますよ」
仕事に励む主を、浩瀚は温かい目で見守る。昨年の今時期は、若き女王の眉間にはいつも皺が寄っていた。読み書きを覚え、国の機構を覚え、朝や政の動かし方を覚えはじめた主。力をつければつけるほど、王の仕事は増大するばかり。
そして生真面目な若き女王は、増える一方の仕事を黙々とこなし続ける。女王の補佐をする宰輔はその成長に目を細めていた。無論、浩瀚もそうだった。しかし、日々が政務と勉強に埋め尽くされる主の現状を、心配してもいた。
浩瀚は女史祥瓊と女御鈴にさりげなく主を休息させるよう勧めていた。友人でもある二人の側近は、女王の眉間の皺や深い溜息をいつも気にかけていたから。しかし、生真面目な主は友人のお茶の誘いにも首を横に振る。
そんなときに現れたのが、主の伴侶である隣国の放埓な王。貴い身分でありながら、相変わらず青鳥ひとつ寄越さず、延王尚隆は唐突にやってきた。
延王が女王の伴侶であることは、浩瀚をはじめ数人の側近しか知らない事実である。しかし、女王の登極に助力した偉大な隣国の王を止められる者は誰もいない。いつもの如く頓着なく執務室の扉を開け、あまつさえ「花見だ」とか言って主を連れ出そうとする。
宰輔は露骨に嫌な顔をした。浩瀚は内心の不快を押し隠し、苦笑した。伴侶の強引さに、生真面目な女王は困惑して浩瀚に視線を投げる。延王尚隆は伴侶である女王のためにならないことはしないだろう。そう思い浩瀚は気分転換も必要でしょう、と主を送り出した。
その後、麗しき女王は柔らかな笑みを浮かべて王宮に帰城した。手巾に沢山の薄紅の花びらを包んで。そして、自ら茶を淹れて伴侶と側近に振舞った。花びらを浮かべられた茶は、たいそう風流で美味しかった。
その花は故郷を思い出させる特別な花。主と同じく蓬莱からやってきた海客の女御は懐かしげに語った。浩瀚は主に提案した。王宮の庭院にもその花を植えましょうか、と。女王は花がほころぶように笑い、金波宮でお花見ができるね、と頷いた。そして、今度は苗木を持ってくる、と隣国の王は約した。
季節は巡り、また花見の時期が近づきつつある。秋に植えられたまだ小さな苗木を見つめ、浩瀚は微笑する。下界の桜が咲いたからには、春の大嵐のような隣国の王が、主を攫いに来る日は近い。今年は覚悟を決めておこう、浩瀚はそう誓う。
2007.03.02.
2007「十二国」桜祭掲示板に投稿した記念すべき第1弾作品でございます。
去年さわりを書き流し、そのまま放ったらかしにされていたものを引っ張り出してまいりました。。
掲示板に投下したとき、これだけ何故か後書きを記すのを忘れておりました。
初めての祭開催に緊張していたようでございます……。
2007.06.11. 速世未生 記