みるくうさぎさま「19万打記念リクエスト」
秘 恋
* * * 1 * * *
「どうして王宮でじっとしていられないんだ!」
雁州国王都関弓、国主延王が住まう壮麗な玄英宮。王を補佐する宰輔の執務室に凄まじい怒号が轟く。回廊にまで響き渡る、その大音声。辛くも逃げ出した堂室の主は舌を出した。
「それはお前がしつこいからだ」
雁州国宰輔。唯一無二の貴い身分を持つ麒麟である延麒六太は、側近の怒声に小さな声で答えを返して肩を竦める。
あの様子では、帷湍は拳を握りしめて青筋を立てているだろう。朱衡と成笙は、そんな帷湍に呆れているに違いない。ここ数日の帷湍の執拗さといったら、抱腹絶倒の極みだったのだ。可笑しさのあまり、六太が出奔を決意するほどに。
「──とにかく、帷湍のお守は任せたぞ」
笑い含みに呟く。胸に浮かんだ朱衡の秀麗な顔は呆れかえり、寡黙な成笙は蹙め面を見せた。それだけで更なる笑いが込み上げる。久しぶりの解放感。それこそが六太の感覚を鈍らせていた。
首尾よく執務室を抜け出した六太は、真っ直ぐに厩舎へと向かった。無論、出奔用の騎獣を調達するためである。使令の悧角に騎乗すれば王宮脱出など簡単なのだが、それは国主の悪意で禁じられてしまった。
延王尚隆は小臣を手懐けて王宮を抜け出している。如何に成笙が締めつけてもどこ吹く風だ。が、尚隆は労をかけずに出かける六太を見ると面白くないらしい。麒麟が王の命に背けないのをいいことに、ある日、いきなりこんなことを言い出したのだ。
(条件は同じにすべきではないか? 転変と使令は禁ずる。これは勅命だぞ。よいな)
にやりと笑う尚隆の貌は、麒麟にあるまじき殺意を覚える程に憎らしかった。しかし、国主の勅命に逆らえる者などいない。それが、どんなにばかばかしい命であっても、だ。それ以来、六太は悧角に騎乗していない。厩舎にいる騶:虞を使うより手はないのだ。
「──なんか無性に腹が立ってきたぞ」
顔を蹙めて呟いたその時だ。
「台輔、いけません!」
「静かにしろ! 見つかっちまうじゃねえか」
声を上げた厩舎番を咄嗟に叱りつけたが、時既に遅い。成笙麾下の手練れが続々と詰めかけ、六太はあっという間に囲まれてしまった。それでも六太は懸命に抗う。そんなとき。
「台輔!」
悪戦苦闘する六太にかけられた声はいつものもの。見ると帷湍が息急き切って立っている。後ろには律儀に朱衡と成笙もいた。六太は腕を組み、挑戦的に帷湍を睨めつけた。
「止めたって無駄だぞ」
「いや、今日は見逃す」
帷湍は正面から六太を見返し、意外な言葉を吐く。六太は目を見張った。そんな六太に、めらめらと瞳に炎を燃やす帷湍は畳みかけてくる。
「その代わり、主上のところへ案内してくれ」
「それ、本気?」
思わず問い返してみれば、帷湍は固く握った拳を前に突き出し、覇気を漲らせて即答した。
「無論本気だ!」
「──しょうがねえなぁ」
六太は嘆息した。帷湍はしつこい。こうなったら気が済むまで六太を追いかけるだろう。正確にいえば、ふらふらと姿を晦ます延王尚隆を、だが。尚隆が猪突という字を与えたのも納得できる猛進ぶりだ。六太は覚悟を決めた。帷湍を見据え、妥協案を提示する。
「供は一人でいい。あんまり多いと逃げられる。それと、あいつを見つけたら、おれは自由放免で。いいな?」
帷湍は素早く朱衡と成笙に視線を走らせた。朱衡は肩を竦め、成笙は顔を蹙めている。それでも二人は小さく頷いた。帷湍は尊大に応じる。
「よし、それで手を打とう」
「あはは……」
全くどちらの位が上か分からない。六太は乾いた笑いを零す。見ると、朱衡は額を押さえ、成笙はますます顔を蹙めていた。しかし、二人とも、日頃の行いを省みろ、と暗に六太に告げている。六太は苦笑でそれに応えた。
間もなく帷湍の騎獣が用意された。六太は数多の官吏に恭しく見送られ、帷湍とともに玄英宮を飛び立ったのだった。
* * * 2 * * *
季節は春。風は暖かく、花の匂いがする。楽しい飛行のはずだった。後ろに貼りつく帷湍さえいなければ。ちらりと後ろを振り返り、六太は大きく嘆息する。そして、事の発端に思いを馳せた。
勝手気儘に王宮を抜け出す国主が、ここしばらくぶっ続けに姿を晦ましている。しかし、延王尚隆は早朝から出奔しながら何故か日暮れにはきちんと戻ってくるのだ。帰城した王からは微かに花の香りが漂い、頗る機嫌がよいという。そのまことしやかな噂は、瞬く間に玄英宮を席巻した。
「意中の花娘でもいるのでは?」
「昼に開いている妓楼などなかろう」
「もしかして本気で惚れた娘ができたのでは?」
様々な憶測が乱れ飛ぶ。流言は六太の耳にも届いたが、どうでもいいことであった。国が安寧を保つ限り、国主がどこで何をしようと勝手だ。城を抜け出そうが、惚れた女と逢い引きしようが、好きにすればいい。六太はそう思う。しかし、臣はそうはいかないようだった。
「──心当たりがあるか?」
ある日、帷湍がそう訊いてきた。六太はおもむろに側近たちを眺める。朱衡は全く動じていない。成笙はいつものことと眉を寄せるだけであった。帷湍だけが真相を気にしているようだ。ならば、知っていることを教えてやろう。そう思ったのもいつもの気紛れからだ。
「極上の女だとか言ってたぞ」
六太は事も無げにそう答えた。頻繁に城を抜け出す尚隆に、六太は直接苦言を呈したことがある。どこぞの女に現を抜かしてる、と。尚隆は人の悪い笑みを見せ、そう答えたのだ。
何気ない言葉に対する反応は絶大だった。帷湍だけではなく、朱衡も成笙も絶句したのだ。硬直した挙句、互いに顔を見合わせる側近たちに、却って六太の方が驚くほどだった。
「──女、なんだな?」
「あいつはそう言ってた」
気を取り直したらしい帷湍の念押しに、六太は素直に頷いた。本人が言ったのだから、間違いなどあるはずもない。
「極上の女か……。日暮れに戻るなら、噂どおり、花娘ではないな」
いったいいつどこで知り合ったんだ、と顎を擦りつつ帷湍はひとりごちる。六太はだんだん嫌な予感がしてきた。予想に違わず、帷湍は拳を握りしめ、目を輝かせて叫ぶ。
「堅気の娘ならば、後宮に召し上げることも可能だな。后が居れば、あいつも城に落ち着くのでは……!」
「そう単純に事が運ぶとは思えませんが」
「誰がどんな美しい娘を連れてきてもどこ吹く風で、龍陽の噂まで出たではないか」
慎重派の朱衡は勿論、滅多に口を開かない成笙までもが帷湍の意見に難色を示した。無論、六太も同じだ。
「おれは知らねえぞ。興味もねえ」
しかし、帷湍は誰の言うことも気にしていないようだった。にっこりと不気味な笑みを浮かべて六太に近づいてくる。
「台輔には、是非ともご協力願いたい」
帷湍は両の手を六太の肩にがしりと乗せて慇懃無礼に言い放つ。気持ちは分からなくはない。麒麟は王気を感じ取れる。どこにいようとも、尚隆の居所は六太には筒抜けなのだ。だが、それとこれとは話が違う。六太は顔を蹙めて言い返した。
「嫌だって言ってるだろ!」
「この国の未来のためだ」
「あいつがいない方が朝議は巧く回るんじゃなかったか?」
「国主が王宮にいないなど他の国では有り得ん」
「そんなこと、今更だろ」
「その今更を改善する必要があるだろう!」
ああ言えばこう言う。六太は頭が痛くなってきた。その場は朱衡が収めてくれが、帷湍はとにかくしつこかった。毎日毎日六太を追いまわし、尚隆の行き先を執拗に訊ね続けた。
結局、今の状況は帷湍の粘り勝ちによる。六太は再び大きな溜息をついた。そんな六太に帷湍が訊ねる。
「ほんとうにこっちでいいのか?」
「おれに訊くなよ」
そう答えつつ、六太は内心同意した。帷湍が不安に思うほど、王気は関弓郊外に感じるのだった。
* * * 3 * * *
尚隆の女遊びなど興味なかった。けれど、確実に近づく王気は、関弓郊外の野山にある。一軒の家も見当たらない場所で、どんな娘と会っているのか。六太は今更ながら疑問に思った。
「──近いぞ」
六太は帷湍にそう囁く。帷湍は訝しげに六太を見つめた。六太は無言で指を差す。薄紅の花をほころばす見事な樹の下に、尚隆がいた。
「八重桜だ……」
思わず呟いた。懐かしい。蓬莱には数多の桜が咲いていた。尚隆が蓬莱を懐かしむとは思わないが、この桜はほんとうに美しい。六太は尚隆から充分な距離を取って地上に降りた。
遠くからでも目立つ大きな樹の根元に、尚隆は一人坐っていた。太い幹に背を預け、樹を見上げているようだ。その様を、六太は帷湍とともに言葉もなく眺めた。
顔を上に向け、散る花弁に手を伸ばし、時折立ち上がってまた花を見つめる。尚隆は長い時間をそのように過ごした。
樹の下で誰かと逢い引きをするのだろう、と肩を怒らせていた帷湍も、いつしか力をすっかり抜いていた。尚隆は、誰かを待つ風でもなく、ただ咲き誇る花を眺めている。六太もまた尚隆が愛でる花を見上げた。
綺麗な桜だった。咲き初めは淡い白、綻びれば薄い紅、散りかけは深い緋。ひとつの樹の中で、それだけの変化を見せる。そして、舞い散る八重の花弁の儚い美しさ。
風が吹くと、濃い紅の花弁がくるくると舞う。遠目でよくは分からないが、尚隆は黙して大きな手を差し伸べ、数多の花びらを受けとめる。まるで、別れを厭って涙を零す乙女を宥めるかのように。
「──極上の女とはよくぞ言った」
六太は小さく呟いた。尚隆にとって、この花見は、見事な緋桜との類稀な逢瀬なのだ。そう悟った六太は、苦笑を浮かべることしかできなかった。聞いた帷湍も何も言わなかった。ただ、そっと騎獣を促して、再び空に舞い上がっただけだった。
「──で、どうだったのです?」
玄英宮に戻った六太と帷湍は待ち構えていたらしい朱衡にそう訊かれた。六太はふいと目を逸らす。己の目で確かめたものを、此度は側近に伝える気がしなかった。それを察したのか、同じものを見た帷湍が重い口を開く。
「──あいつは、とんでもなく面食いだ。そして、簡単に後宮に入れられるような娘に惚れたりしない。ほんとうに面倒な奴だ」
「骨折り損か」
成笙が顔を蹙めて口を挟む。帷湍はゆっくりと首を横に振った。
「──事実を確認できたからよしとする」
成笙は頷いたが、朱衡は物問いたげな貌をしていた。しかし、帷湍はどんな事実を確認したのかを語らずに話を打ち切り、六太もまた口を噤んだ。朱衡がそれ以上問うことはなかった。
夕刻になり、尚隆は城に戻ったようだった。国主の執務室を覗きこむと、相変わらず側近三人が口々に苦言を呈しているのが見えた。尚隆はというといつもの如く馬耳東風で、溜まった仕事を適当に片付けている。その顔が常より穏やかなのは、六太の気のせいではないだろう。六太は執務室を離れ、帷湍を待ち伏せた。
「──帷湍」
「なんだ」
仏頂面の帷湍が足を止めることはない。六太は小走りに帷湍を追いかけて問いかけた。
「いいのか?」
「いいも悪いもないだろう」
依然として仏頂面を見せる帷湍の応えに、六太はくすりと笑う。
「──お前、案外いい奴だな」
そう言い様に走り去る。帷湍が怒ることは分かっていた。怒声を聞き流しつつ六太は口笛を吹く。何故かいい気分だった。
やがて、花が散り終えたのか、尚隆の昼の出奔はなくなった。玄英宮にはまたも流言が飛び交った。
「別れたのか」
「振られたんだろう」
「やっぱり堅気の娘に好かれるわけがない」
国主の秘めたる恋は謎のまま。
それでいいじゃないか、と六太は笑う。そんな六太も、尚隆が後にあの緋桜の如き見事な女を見つけるとは思ってもみなかったのだった。
2011.06.16.
みるくうさぎさまによる「19万打リクエスト」短編「秘恋」をお届けいたしました。
小品「いつか逢いし緋色の桜」@夜話(本館)連作「花見」の六太視点でございます。
まずはお詫びを。大変長らくお待たせいたしました。本当に申し訳なく思っております。
今回のお題ははキャラリクで、
「雁の3官吏&六太で。全員じゃなくてもOK」
でございました。
お待たせした挙句にあまりリクにお応えできてなくてごめんなさい。
お好みは朱衡なのに出張ったのは帷湍で、成笙は相変わらず無口で
二言しか話しておりません。
しかも、場面が降りてきたのが祭の最中で、すっかり季節外れ……(泣)
けれど、楽しく書き上げることができた作品でございます。
リクエストをありがとうございました。
お気に召していただけると嬉しく思います。
2011.06.17. 速世未生 記