一 驚
愛しい女は、蓬莱生まれの隣国の王。
延王尚隆はそんな伴侶に公の場で求婚し、承諾を取りつけた。そして、公に伴侶として認められた女王に、ひとつ贈り物をした。蓬莱では、花嫁が左手の薬指にはめるという、銀色の指輪を。
輝かしい瞳に涙を滲ませて礼を述べた女王は、何も返すものがない、と溜息をつく。尚隆は伴侶の潤んだ翠玉の瞳を覗きこみ、笑顔で応えを返した。
「お前からの贈り物は、もう受け取っている」
そう、他の誰にも見せることのない、潤んだ翠の宝玉と、清らかな涙の雫を──。
未だ己の価値を知らぬ麗しき女王は、言葉の意味を図りかねて目を見張る。尚隆は人の悪い笑みを浮かべ、困った顔をして小首を傾げる伴侶に甘く口づけた。
唇を離して見つめると、少し前まで困惑していたはずの伴侶が、花ほころぶような美しい笑みを見せた。輝ける翠玉の瞳を覗きこみ、尚隆は訝しげに問う。
「──何を笑っているのだ?」
「──内緒」
「こら、内緒なぞ許さぬぞ」
悪戯っぽい笑い声を立てる伴侶を榻に押し倒した。そのまま笑みを浮かべる朱唇を奪い、そのしなやかな曲線をなぞる。いつも少女のように戸惑う貌を見せる伴侶は、はっとするほど艶麗に微笑んだ。
しばし見とれる尚隆を、伴侶は優しく抱きしめる。華奢な腕の温もりは、夜まで待つつもりだった尚隆の熱を呼び覚ました。尚隆は腕の中の伴侶に甘く囁く。
「──お前を休ませろ、と六太に言われたのだがな」
「うん……だから、二人で一緒に休もう」
羞恥に頬を染めながらも、伴侶は熱を帯びた声で囁き返す。常にないその誘いに、尚隆はすぐに伴侶を抱き上げ、にやりと笑いつつ問いかける。
「──ほう。俺と一緒で、お前は休めるのか?」
「……一緒だから休めるんだよ」
小さな声で応えを返し、ますます顔を赤らめる伴侶は、なんとも可愛らしかった。意地悪に耐えかねて尚隆を睨めつける伴侶に笑みを返し、華奢な身体を抱いたまま真新しい牀に腰を下ろす。
「玄英宮には、お前を追い立てる仕事はないのだからな」
金波宮での蜜月の翌朝、己の伴侶である尚隆よりも仕事を取った生真面目な女王。夜が明けても離さない、と遠回しに念を押すと、伴侶は苦笑しながらも頷く。
「──覚悟してるよ」
「殊勝な覚悟だな」
軽く笑いながら、尚隆は伴侶を横たえる。それから、公に己の伴侶と認められた女の朱唇を遠慮なく味わった。そのまま、ゆっくりと唇を滑らせていく。
お前は俺のもの──。
想いを籠めて滑らかな肌に印を刻む。紅の炎のような髪も、潤んだ翠玉の瞳も、しなやかな身体も、すべて俺のものだ。
甘く熱い抱擁を受け入れ、伴侶は艶やかに微笑む。尚隆は伴侶の耳許にそっと囁いた。
「──俺を抱く女は、お前だけだ」
ずっと告げたかった一言に、僅かに目を見張った伴侶は、にっこりと至福の笑みを見せる。そして、思わぬことを言った。
「──他に何もあげるものがないから、中嶋陽子をあなたにあげる。私を……小松陽子にしてください」
一驚を喫した尚隆は、咄嗟に軽口を返すこともできなかった。ただただ瞠目して伴侶を見つめる。それからやっと、掠れた声で揶揄めいた応えを返した。
「──お前は、誰のものでもないのではなかったか?」
「意地悪……」
頬を染めた伴侶は、匂やかに笑んで尚隆に身を預ける。そして、甘く深く尚隆に口づけた。いつも羞じらって小鳥のように啄むのみの伴侶の熱い想いを唇を感じ、尚隆は細い身体をきつく抱きしめる。
「──後悔、しないか?」
「しないよ……」
吐息のような答えとともに、伴侶は尚隆の首にしなやかな腕を絡める。そして、もう一度、唇を重ねた。尚隆はその朱唇を存分に貪った。
お前は俺のもの。伴侶にそう告げると、腕が震えた。うん、と小さく答える伴侶の瞳は潤んでいた。
「──女王でない私は、全部あなたにあげる」
そう告げる伴侶は大輪の花のように美しかった。尚隆は眩しげに伴侶を見つめ、大きく頷く。そして、己の妻となった愛しい女とともに至福の時を過ごした。
2007.12.07.
小品「一驚」をお送りいたしました。
拍手其の五十四「至福の笑み」を加筆修正した作品でございます。
いつか出そうと思いつつ、こんなに時間がかかってしまったのは、やはり恥ずかしいからでしょう。
尚隆視点をこんなに恥ずかしく思ったのは初めてかもしれません……。
いつかまた、この後の新婚旅行を書けたらいいなと思います。
いつもの如く気長にお待ちくださいませ。
2007.12.07. 速世未生 記