後 朝
明るい朝の陽光が射しても、尚隆は未だ伴侶を腕に抱いていた。後朝の別れを惜しみ、残月とともに伴侶の許を去る必要は、もうない。
その想いは伴侶も同じらしい。空が白み始めると、いつも儚い笑みを見せていた伴侶。今、尚隆を見つめる伴侶の瞳は、柔らかく、満ち足りた色を浮かべている。
想いを交わし、甘い口づけとともに、とりとめのない枕語りを続けた。愛しい伴侶とふたりきりの、安らげる閨の中で。いつまでも離したくない、伴侶の美しい笑みはそう思わせる。延王尚隆は翠の宝玉を見つめ、笑顔で提案した。
「せっかく後宮を用意したのだから、玄英宮まで見に来い」
「でも……」
「大丈夫だ。それも日程に入っておる。正式訪問の目録を見てみるか?」
躊躇う伴侶に、どうせ見もしなかったのだろう、と尚隆は大きく笑った。あのとき、景王陽子は烈火の如く怒っていたのだ。きっと、冢宰から差し出された目録を、検めもしなかっただろう。はたして伴侶は口を尖らせて横を向いた。
「もう、何から何まで……」
「そう拗ねるな」
尚隆はくすりと笑い、伴侶に宥めるような軽い口づけを落とす。唇を離して見つめると、伴侶は小さく笑って言った。
「景麒や浩瀚がいいと言ったらね」
「誰も駄目とは言わぬだろう」
そう告げて笑う尚隆をよそに、伴侶は羅衫を羽織り、するりと牀を抜け出した。止める間もないその素早さに、尚隆は不機嫌な声を上げた。
「──まだよいだろう」
「そんなわけにはいかないよ」
少し遠くから笑い含みの声が聞こえた。嫌な予感がして、尚隆は己も夜着を羽織って後を追った。案の定、伴侶は用意されていた襦裙には目もくれず、さっさと長袍を着込んでいた。尚隆は嫌そうに舌打ちをする。
「今日くらい襦裙を着ろ」
「昨日、大袞を着てあげただろう?」
伴侶は身支度を整えながら悪戯っぽく笑う。尚隆は憮然と言い返す。
「あれは正式訪問のお約束だろう」
「だって、襦裙は一人じゃ巧く着られないもの」
伴侶はそう言って頬を赤くして俯いた。襟元から覗く細い首筋には、尚隆が刻んだ所有印がちらりと見える。今日は誰にも身体を見られたくないから、と伴侶は小さく呟いた。羞じらう伴侶を見下ろし、尚隆は微笑する。
「──だったら、ずっと俺とここにいればよいだろう」
「だから、そんなわけにはいかないんだってば」
「お前は真面目すぎる。祝言のときくらい、休め」
そう言って伸ばした腕を、伴侶はするりと躱す。そして、にっこりと鮮やかな笑みを見せた。
「私は、私の願いを叶えてくれた臣に、報いたいんだ」
「臣にしか報いない気か?」
尚隆は再び不機嫌な声を上げた。臣を大事にする発言は、いかにも陽子らしい。しかし、祝言を実現するために、尚隆が如何に奔走したことか。それを考えに入れてほしい、と心底思った。
「無論、あなたにも感謝してるよ」
「では、感謝を形にしてみろ」
「忘れてもらっては困る。私に長袍を勧めたのはあなただよ」
俺のために襦裙を着ろ、と食い下がる尚隆に、伴侶は軽く笑う。尚隆は片眉を上げ、不服そうに目で問うた。そんなことをした憶えはないのだが。
「ほら、初めて玄英宮に案内されたとき。あなたが私のために用意させた着替えは、紛れもなく長袍だった。女と知って命じたのなら洒落た方だって、楽俊が感心してた」
そう言って花がほころぶように笑う麗しき女王。延王尚隆は、苦虫を潰したような顔をして横を向いた。伴侶は、我が意を得たり、とばかりに頷く。
「──お蔭で私は袍の気楽さを知ったんだから、あなたに感謝してるよ」
そんな遥か昔のことを、何故、今、持ち出すのだ。
尚隆は声なき怒声を上げる。そして、楽しげに笑う伴侶を見つめ、心に固く誓ったのだった。
──絶対に、襦裙を着せてやる。
2006.12.10.
「昏闇」「枕語」の後の尚隆と陽子でございます。
「悪戯のツケ」まで含んでしまいました(笑)。
そして、子供返っている尚隆でございます。(これって甘いのでしょうか?)
この後のお話も、早く仕上げてしまいたいもののひとつででございます、はい。
2006.12.10. 速世未生 記