宴 後
「──着替えを用意してくれ」
私室に戻った景王陽子は女官にそう命じる。大袞で正装した女王は、そのまま勝手に頭に挿された数多の簪を抜き始めた。美しく複雑に結い上げられた髪型が、見る間に壊れていく。
女官はひっと小さく悲鳴を上げると瞠目した。眉を顰めた麗しき女王は頓着なく作業を進めていく。豊かな緋色の髪を全て背に下ろすと、陽子は大きく息をついた。
「重かった……」
「陽子!」
バタンと大きな音がして、予告もなく扉が開いた。転がるように駆けこんできたのは祥瓊と鈴である。息を切らした二人は、陽子の背で波打つ緋色の髪を見つめ、がっくりと肩を落とした。
「ああ、遅かった……」
「──みんな、あんなに苦労したのに」
祥瓊と鈴は恨めしげに陽子を睨めつける。麗しい女王をますます美しく見せるために飾った瀟洒な簪。それを陽子はいともあっさりと全て取り去ってしまった。
「──残念でした。いつまでもあんなの付けていられないよ。もう苦しくて堪らない。早く袍を持ってきてくれ」
「陽子、延王は大袞のまま来てほしい、と仰せだったのに……」
深い溜息をつきつつ祥瓊は呟いた。伴侶である隣国の偉大なる王と正装で並ぶ女王は、誠に美しく麗しく、似合いの一対であったのに。普段の二人を知っているだけに、祥瓊のその気持ちは一段と強かった。
「祥瓊、腹黒い延王の味方をするつもりか?」
波打つ髪を手で梳きながら、陽子は嫌そうに祥瓊を見やる。祥瓊は眦を吊り上げ、声を荒げる。
「そういう問題じゃないわよ! せっかく綺麗に装ったのに……」
「滅多にないことなんだから、もう少し着飾ったままでいてくれもいいじゃないの!」
鈴も泣き出さんばかりに陽子に詰め寄った。陽子はそんな二人を無視して女官に顔を向ける。
「袍を持ってきてくれ」
「主上……せめて襦裙をお召しくださいませ」
今日は特別な日なのですから、と女官は続けた。そう、麗しき女王は、隣国の王の求婚を正式に受諾した。お披露目の宴も終わった。今宵は初夜だというのに。花嫁にいつもと同じ男物の袍を着せるわけにはいかないだろう。
女官の言葉に、鈴も祥瓊も大きく頷く。せめて今夜くらい、花嫁らしく美しく装ってほしいのだ。鈴が涙目で陽子に迫る。
「そうよ、せめて襦裙を着なさいよ。髪は合わせてあげるから」
「──嫌だ。好きで大袞を着たわけじゃない。私は延王に謀られたんだ。とんでもない意趣返しだよ、まったく」
顔を蹙めてそうのたまう女王に、祥瓊はくらくらする頭を押さえた。鈴もそれは同様だった。
(──みな、私の願いを叶えてくれて、ありがとう……)
そう告げて涙を零した女王は、清麗だった。その清らかな涙に、もらい泣きしていた官もいたというのに。少しはしおらしくなったかと思えば──。祥瓊は噛みつくように怒鳴る。
「──陽子があの方を蹴り出したりするから悪いんじゃないの!」
「あのひとは、蹴り出されて当然なことをしたんだ」
美しき女王は 力強く首を横に振り、忌々しげにそう言った。そして今度は勝手に大袞を脱ぎ始めた。
「──主上……」
「待ってよ!」
「ああ、もう、陽子ったら!」
静止する間もなく、麗しき女王は次々に衣を脱ぎ捨てる。そして、ついに小衫ひとつの姿になって大きく伸びをした。
「ああ、楽になった」
陽子はにっこりと晴れやかな笑みを見せる。そんな主に女官は嘆息し、諦めて長袍を着せかけた。祥瓊と鈴はその場にへたりこんで深々と溜息をついた。
2006.02.28.
「慶賀」の後日譚その一「宴後」をお送りいたしました。
「慶賀」で大袞を着せられ不機嫌だった陽子主上。
いつまで大袞をお召しかしら、と思って書き流した小品です。
やっぱり速攻脱いでしまいましたね(笑)
「黎明」で陽子が寡黙になってしまい、困っておりました。
このお話のお蔭で、少し語りだしてくれそうです。
ほっとしております。
2006.02.28. 速世未生 記